“心のバリアフリー”をクリエイティブに実現する「ピープルデザイン」を提唱し、ダイバーシティ/インクルージョンなまちづくり活動を展開する、「特定非営利活動法人 ピープルデザイン研究所」。2012年から、スポーツや音楽のイベントを舞台に、障がいやひきこもり等で就労に困難を抱える方々のための「就労体験プロジェクト」を実施してきました。
「ハレの場」での特別な体験が彼らにもたらすものとは一体何なのか。今回はラグビーリーグワンの東京サントリーサンゴリアスの試合会場で行われた就労体験イベントの様子をレポートします。
熱気に包まれたスタジアムに、スタッフとして立つ
2026年3月28日、東京・秩父宮ラグビー場。満開の桜が立ち並ぶスタジアムには、観客たちが次々と詰めかけていました。この日、ラグビーリーグワンの東京サントリーサンゴリアスのホームゲームを舞台に、特別な体験機会が用意されました。
参加したのは、知的や精神、発達などに障がいを抱える10〜20代の若者たち7名。この日、彼らはサンゴリアスの試合運営スタッフの一員として、先着1万名の来場者にノベルティのタオルを手渡す仕事を担いました。
午前11時、朝礼がスタート。この日の体験の内容についての説明や、就労体験での心構えについてお話がありました。
「今日の就労体験では、3つのことを意識してください。まず『体調と安全を最優先』、次に『今日の体験にあたり目標を決めること』。それから『楽しく働くこと』です」
12時20分、参加者たちはスタジアムのゲート前に集合しました。すでに会場周辺には長い列が伸び、観客たちは開場を今か今かと待ちわびています。緊張した面持ちの参加者もいれば、物珍しそうに周囲の光景を眺める参加者もいました。
12時30分、ついにゲートが開きました。次から次へと人が押し寄せるなか、参加者たちは配布するノベルティを手に、来場者へ向けて声をかけ始めました。最初はどこかぎこちなかった動作や表情が、だんだんと変わっていきます。真剣な眼差しで観客に向き合い、時に笑顔を見せながらノベルティを手渡す参加者たち。休憩の際には「もっとやりたい」とうずうずとした様子を見せる人の姿もありました。
「スタッフと参加者のみなさんが自然と横並びの関係になります。ハレの場だからこそ見せる意外な一面や振る舞いがあるんです」と、ピープルデザイン研究所の田邉宗作さんは話します。プロスポーツという非日常の空間が、参加者のなかに眠っていた力を引き出すきっかけになっているようでした。
「選択肢が圧倒的に少ない」。就労体験プロジェクトが生まれた理由
ピープルデザイン研究所は2012年に設立されました。“心のバリアフリー”をクリエイティブに実現する「ピープルデザイン」を提唱し、ダイバーシティ/インクルージョンなまちづくりに取り組んでいます。
障がいのある方が憧れを持ってみられる社会、「超福祉」をビジョンとして掲げ、障がい者をはじめとするマイノリティや福祉そのものに対する「心のバリア」を取り除くさまざまな取り組みを実施。2014年から2020年までは『超福祉展(正式名称:2020年、渋谷。超福祉の日常を体験しよう展)』を毎年渋谷で開催しました。その後はインクルーシブな学びや生涯学習などをテーマにした「超福祉の学校」などの「超福祉イベント」を渋谷のみならず札幌などでも継続的に開催。ほかにもLGBTをテーマに映画上映イベントを実施したり、インクルーシブをテーマにした商品やサービスの開発、全国の小中学校や高校、大学の授業など、幅広い活動を行っています。
2025年には、「就労に困難を抱える10代のやってみたいを実現する就労体験」事業がサントリー“君は未知数”基金に採択されました。この事業では、障がいやひきこもり等で就労に困難を抱える若者に対し、JリーグやBリーグの試合、ロックフェスなどスポーツやエンターテイメントの「晴れ舞台」で働く体験の創出を目指しています。
ピープルデザイン研究所が就労体験プロジェクトを始めたのは2012年のこと。Jリーグの横浜FCとの連携がその出発点でした。プロジェクトが生まれた背景には、創設者である須藤シンジさん自身の経験があります。身体と知的障がいを持つ須藤さんの息子さんは当時、特別支援学校に通っていましたが、そのなかで障がい者の社会参加や働くことに対する「圧倒的な選択肢の少なさ」に疑問を抱いていました。スポーツや音楽などが好きな自分の子どもが、好きな仕事にまったく関わることができない現実。それを変えていこうと、スポーツや音楽・映画などのエンターテイメントの会場でアルバイトのような気軽さで、働く体験ができないかという模索が始まりました。
2014年には神奈川県川崎市とダイバーシティな街づくりで包括協定を締結し、川崎フロンターレや川崎ブレイブサンダースをはじめとするスポーツクラブや音楽・映画イベントで就労体験を実施。公金に頼らない持続可能なプロジェクトを目指し、クラウドファンディングや助成金で資金を集めて企業スポンサーを獲得するモデルをつくりました。2014〜2024年の10年間で505企画を行い、延べ3,463名が参加し、そのうち322名が一般就労を果たしました。
大きなポイントとなっているのが、まずは国や行政の財源に頼らないこと。そして就労体験をするのが「ハレの場」であるということ。「障がい者の”仕事”は、事業所の室内での地道な作業が中心になりがちです。でもハレの場に出ることは、彼らにとって貴重な人生経験になるんです」と、代表理事の田中真宏さんは言います。
田中さんが14年間、延べ5千人以上の障がい当事者や就労困難者と共に働きながら、就労体験プロジェクトを全国に拡大し続けるなかで常に目の当たりにしてきたのは、就労に困難を抱える障がいのある方の多くは、事業所の職員などの支援者や家族などの限られた人としか接する機会がなく、さらに家と福祉事業所の往復という限られた場所で生活を送っている人が多いという現状です。田中真宏さんは「非日常のハレの場での体験は、自分のなかにある未知の可能性を開きます。自身はもちろん、周りの支援者やご家族もそのことに気づく機会になる」と言います。
「スポーツスタジアムなど、多くの方々が来場するイベントに運営スタッフとして参加することで、そのなかに混ざり合いながら不特定多数の人と出会い、コミュニケーションを交わす。自分がサービスを提供する側になり、ご来場されたお客様に『ありがとう』と言われることで他者承認欲求が自然に満たされ、自己肯定感を得て自分に自信をつける方が多い。その後参加者が社会参加や働くということに対して意欲的になり、実際に就労された方も多くいます」
なぜ、あえてスポーツや音楽のイベントという場で実施するのか。その理由は、こうしたイベントの会場は、来場者も含めてポジティブなエネルギーであふれているからだそうです。今回の就労体験でも、ノベルティを受け取った来場者から「ありがとう」「がんばって」という声が自然にかかっているのが印象的でした。日常の作業では感じにくい「自分が誰かの役に立った」という手応えを、直接的な反応として受け取れること。健常者と障がい者が特別な場面で混ざり合う。これこそがこの就労体験の持つ特別な価値なのです。
普段とは違う自分に出会う
参加者の変化を近くで見てきた同NPOの金子亜佐美さんは、この日の体験をこう振り返りました。「普段は疲れてしまって投げやりになってしまう方もいるんですが、今回はそれがなかったんです」。日常の支援現場では見られない表情や姿勢が、スタジアムという舞台によって引き出されていました。
また、参加者の保護者の声も印象的でした。「なかなかない機会なので、親として参加させたかったんです」。我が子がハレの場で働く姿を見ることができ、家族にとっても特別な時間になったのではないでしょうか。
東京サントリーサンゴリアスの運営・ファン事業グループ統括マネージャー、脇健太さんは、「今回が初めての受け入れでしたが、ホームゲームの運営スタッフの一員としてとても熱心に役割を果たしていただきました。これからも、障がいを持った若者が活躍できる場として機会を提供していきたいと思います」と語りました。
そして、この日最も印象的な瞬間は、試合後に訪れました。終礼を終えた参加者たちは、横断幕を手に選手たちとともにグラウンドを一周。スタンドから降り注ぐ観客の声援に、参加者たちは手を振って応えます。さらに選手たちと握手やハグを交わし、試合を終えたプロ選手と同じ場所に立つ体験をしました。
朝礼で「今日の目標を決めよう」と言われた若者たちが、試合後のグラウンドで観客から歓声を受ける。彼らは、日常では味わえない確かな手応えを得たのではないでしょうか。
リピーターが物語る就労体験プロジェクトの価値
このプロジェクトには、繰り返し参加するリピーターが多くいます。今回の参加者のなかには3回連続で参加した方もいました。一度の体験でその人の人生が劇的に変わるわけではないかもしれません。それでも、小さな成功体験が積み重なることで、「働ける」「役に立てる」という感覚が少しずつ育まれていきます。
川崎市との連携では現在、年間50件以上のプロジェクトを実施。市内の至る所で日常的に実施され、2026年度からは市が予算をつけて行政施策として展開されるまでに発展しました。ところが長期にわたって多くの回数を重ねてきたがゆえに、参加者が集まりにくいことがあったり、体験内容を常に新しくしないとマンネリ化してしまうなどの課題も生まれています。
一方、首都圏以外の地域では、こうした体験機会はまだまだ珍しいのが現状。そこでピープルデザイン研究所は、「ソーシャルフランチャイズ」を進めています。全国各地でこの取り組みに共感・賛同する団体と連携し、就労体験プロジェクトのスタートアップからマネタイズまでを支援。企業協賛費などの資金を獲得できれば、そのすべてを譲渡。これまでの12年間に蓄積した運営手法もマニュアル化し、ほかの団体にあらゆるリソースを提供し運営を委ねています。その成果として、現在は首都圏以外の全国各地で年間200〜300件のプログラムが展開されています。
田中さんは「地方都市部だけでなく地方地域まで、そして若い世代の方々にこの体験機会を提供し、一人でも多くの方の人生の選択肢を広げることをサポートしたい」と語ります。その言葉が示すように、このプロジェクトが目指すのは、特別な場所での特別な体験にとどまりません。どの地域に暮らしていても、就労に困難を抱えた若者が「やってみたい」と思えるきっかけに出会える、そしてそれを受け入れる社会をつくること。秩父宮ラグビー場での一日は、その歩みの着実な一歩となりました。
【特定非営利活動法人 ピープルデザイン研究所】
東京都品川区西五反田3-3-2
2F MEGUROMARC OFFICE
https://www.peopledesign.or.jp/