すべての子ども・若者の「自分らしく未来を切り拓く力」を育てるため、全国の公立学校などにアートによる創造的学びを提供する「一般社団法人ELAB(イーラボ)」。アーティスト谷澤邦彦さんが考案したメソッド「EGAKU」を通じて、子どもたちの創造的思考やコミュニケーション力を育み、他者と尊重し合える豊かで持続可能な社会を目指しています。「サントリー“君は未知数”基金」採択事業では、より多くの教育や福祉の現場でEGAKUを活用するための仕組みづくりに取り組みます。
自分のものの見方や感じ方を知る鑑賞と創作のプロセス
アートによる学びのメソッド「EGAKU」は、アートの鑑賞と創作を通じて自己や他者の内面と触れ合い、これからの社会を生きるために必要な5つの素養「個の自律」「コミュニケーション能力」「多様性を楽しむ力」「俯瞰して観察する力」「正解のない問いを考える力」を育んでいくプログラムです。育ちの過程で誰もが体験する「描く」という行為には、人がより良く生きるための大切なエッセンスが詰まっている。アーティストである谷澤邦彦さんはそう考え、2002年にEGAKUのプログラムを開発しました。
「現代のような道具などもなかった3万年以上前の時代に、人類は洞窟に絵を描いています。『そもそも、絵を描くってなんだろう、どういうことなんだろう』というところから生まれたプログラムがEGAKUです。一般的にアートの学びというと、教養となる理論や歴史という切り口が挙げられますが、EGAKUは鑑賞と創作という極めてシンプルな内容です。その実践を通して身についていくものが、アートの本来の学びだと考えています」
谷澤さんはアートの学びの本質についてこのように話しました。
EGAKUの作品鑑賞は、自分との対話です。じっくりと作品に向き合い、自分が何を感じたか、どう思ったかという、自らの感覚を自分自身で見つめます。そして自分が感じたことを言葉にして他者に伝えます。アートを見てどう感じるかは人それぞれであり、正解があるものではありません。鑑賞する作品は自分にとっての“鏡”であり、プログラムの受講者は自分の内面から出てくる言葉により自分自身の嗜好や感覚とあらためて出会い、ものの見方や心の動きについて気づきを得ていきます。また、それを他者と共有することが、自分と違う感じ方や、自分以外の人の心の揺らぎを知るきっかけにもなります。
自分の感覚や多様なものの見方を知る鑑賞の過程を経て取り組む創作の時間は、テーマをもとにそれぞれが自らの作品づくりに集中して取り組みます。創作に使うのは、初心者から熟練者まですべての人が創造性を発揮しやすいよう、EGAKUのためにつくられたオリジナルの画材キット。正方形の色紙の上にパステルをのせ、指でこすったり色を混ぜ合わせたりと、自分の作品と対峙しながら思い思いのやり方で描いていきます。
作品ができあがったら、今度はそれぞれが創作した絵を鑑賞し、感じたことを共有します。鑑賞と創作、そしてまた鑑賞という反復のプロセスは、自分の感覚を掘り下げて認知し、言語と非言語の表現手段により他者へと伝える行為です。EGAKUの現場では、ファシリテーターが受講者から言葉を引き出そうとしたり、描き方を教えたりすることはありません。一般社団法人ELABの理事であり、各地でEGAKUの現場に携わってきた長谷部貴美さんは、ファシリテーターとしての場づくりについてこう話しました。
「EGAKUではアートを鑑賞して一人ひとりが感じたことは必ず尊重されます。いろんな見方があっていい。人が感じたことも自分が感じていることも大事にできる時間にしています。鑑賞して思いを共有する時間も創作も、最初の一歩に時間がかかる子はいますが、誘導するような問いかけはしません。時間が必要なだけなんです」
自分自身を生きる力を育み豊かな社会に
「自分の気持ちや大切にしているものがよくわかった」「自分は自分でいいんだと思えた」「みんな見方や感じ方が全然違うんだということがわかった」。これらはEGAKUの受講生によるプログラム体験の感想です。自分の内面と向き合い表現し、共有し合うことによる刺激や変化はとても大きく、こうした声は子どもから大人まで年代を問わず寄せられる、受講生に共通した「本質的な気づき」であると、同法人代表理事の石井美沙子さんは語ります。
「ある地域では、学校の授業でEGAKUを体験した高校生が自ら企画し、高校生と教員や地域の企業、団体、行政の方などが一緒に参加するプログラムへと発展しました。年齢層も属性もさまざまな人たちが同じ場でEGAKUを体験し、パワフルな作品がたくさん生まれていました。高校生たちは普段関わることのない地域の大人と触れ合う機会になり、教員も学校の外とつながるきっかけになった。ある高校生はEGAKUを通して自分のことを知り、もっといろんな人と関わりたいという気持ちが芽生えたそうです。一方で、大人たちは高校生が自分の思いを素直に言葉にしているのを見て、大いに刺激を受けている。年代の壁を超えてニュートラルに交わる場になるというのも、このプログラムの面白いところだと思います」
こうした体験を経て育まれていくのが、冒頭で紹介したこれからの社会を生きるために必要な5つの素養である「個の自律」「コミュニケーション能力」「多様性を楽しむ力」「俯瞰して観察する力」「正解のない問いを考える力」です。それらはすべての子どもの育ちに必要な「自分自身を生きる力」だと谷澤さんは考えます。
「アートによる創造的学びは、誰もが『自分を生きる』ための根底にあるべき学びだと思っています。そこで育む力は、本来人間が自分のなかに持っているもので、鑑賞と創作の実践を繰り返しながらその力を自分で育て、それぞれが自分を生きていく。子どもたちが自分を人と比べるのではなく、『自分を生きる』という実感とともに成長していけば、そこにできる社会はもっと豊かで面白い社会になるような気がしています」
アートによる創造的学びを子どもの育ちのインフラに
これまで30校を超える小・中・高・大学などの授業や教員研修、イベントなど、さまざまなシチュエーションで5,000人以上の子ども・若者・教育関係者に向けてプログラムを実施し、実績を重ねてきた同法人。学校での実施は、道徳や探究学習、図工や美術の一環で体験するケースもあれば、長期休みの前後やクラス替えのタイミングなど、子どもたちの心が揺らぎやすい時期に特別授業としてEGAKUを取り入れるなど、さまざまなパターンがあるといいます。「サントリー“君は未知数”基金」採択事業では、EGAKUを単発のワークショップではなく、すべての子ども・若者が受けられる学びとなることを目指し、より多くの教育の現場に広げていく取り組みをしています。そのためには、EGAKUのプログラムを深く理解し子どもたちに実践することができる人材を増やしていく必要があると長谷部さん。
「学校教育のなかでは教員がEGAKUを扱えるようになることが理想ですが、現状やるべき教育に加えてこうした体験型のコンテンツを取り入れるというのは、かなりパワーがいるものです。これまでは私たちが学校に出向いて先生方とタッグを組んでプログラムを実施してきましたが、そこで見えた現場の状況や積み重ねた実績をもとに、先生方をサポートするための仕組みづくりに取り組んでいます」
教員向けの研修や、授業で使う教材づくり、また教員以外にも全国各地における創造的学びのティーチングアシスタントの養成など、「できる限り教員側の負担を減らしながらも、学びの質を担保した仕組みをつくれるかが、法人としてのチャレンジ」だと石井さんも話します。さらに教員の異動や予算の問題など日本の教育の構造がプログラム継続のボトルネックになりやすいことから、自治体との連携なども視野に入れた持続可能な仕組みを模索中です。
「これまで助成金等を活用しながらプログラムを各所で実施し、実績を積み重ねるということに集中して取り組んできましたが、一方で仕組化や基盤づくりなど団体としての中期戦略的な取組に予算がつきづらいという課題がありました。サントリー“君は未知数”基金の事業として調査や検証、発信などにもより注力できるようになったので、現場にある課題やプログラムによる効果を可視化し、広く伝えていきたいと思っています」
また企業の支援を受けると同時に、企業の社員研修やファミリーデーなどでもEGAKUを実施してきた同法人。企業の社員やその家族がプログラムを体験したことで、アートによる創造的学びが若手の育成や家族の関係性など、多様な領域に変化をもたらす効果も見えてきました。今後は企業にとっては社会貢献の一環でもあり、社内の課題解決や社員のウェルビーイング向上のためのコンテンツにもなっていきそうです。
これまでEGAKUのプログラムに参加した人数は、子どもから大人までおよそ3万人。それはつまり、3万という数のアート作品がこの世に生み出されたということでもあります。谷澤さんはこれらの作品を通してアートそのものの価値、そしてアートによる創造的な学びの場をつくり出す意義の両方を社会に発信することができるのではないかと考えています。
「EGAKUでは参加者の数だけ作品が生まれます。その作品を社会に見せていくことによって、たとえば美術などの文化が、人が生きていくうえでいかに大切か。現代におけるアートのあり方、価値とはなんなのか。そういう問いを発信することにもなります。それは日本だけでなく世界からも注目され得る問いです。EGAKUで生まれた作品で、そんな学びとアートがオーバーラップするような場をプレゼンテーションできないかなと思っています」
アートによる創造的な学びの手法であるとともに、現代社会におけるアートの意義を再確認するきっかけともなるEGAKU。「子どもたちの育ちにおけるインフラのような存在になりたい」と石井さんがいうように、子どもの頃に体験した受講者が、受験や就職活動など人生のターニングポイントで再び参加し、あらためて自分と向き合うための拠り所となっているケースもあるといいます。すべての子どもが自らの力を引き出し生きる力を育むプログラムとして、全国展開に向けて仕組みづくりを進めています。
【一般社団法人 ELAB】
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