2025.04.23

オンライントークイベント「“思春期世代”から『幸せに生きる力』を考える ~マルチセクターで創る共育・共食・協働~」開催レポート

オンライントークイベント「“思春期世代”から『幸せに生きる力』を考える ~マルチセクターで創る共育・共食・協働~」開催レポート

2025年2月26日(水)、サントリーの次世代エンパワメント活動“君は未知数”の取り組みの一環としてオンライントークイベントが開催されました。テーマは「“思春期世代”から『幸せに生きる力』を考える 〜マルチセクターで創る共育・共食・協働〜」。人の生き方や子どもの成長についてのパラダイムシフトの必要性を提起している、“君は未知数”のアドバイザーであり総合地球環境学研究所 所長の山極壽一さん、そして同アドバイザーでNPO法人ETIC.の創業者の宮城治男さんをゲストに迎えた本イベントの模様をレポートします。

基調講演:思春期と幸せに生きる力

人間特有の成長過程と思春期スパート

まずは、山極さんから「人類学から見る思春期と共感力」をテーマとした基調講演がありました。

山極さん:思春期という時期は、人類の生物学的な特徴です。人間の子どもは、ほかの類人猿と比べて身体の成長が遅い一方、脳の成長を優先させています。これにより、高い認知能力を得て、複雑な社会のなかで協力しあえるようになりました。しかし、その結果として心身のバランスが崩れる「思春期スパート」が起きるようになりました。

人間の脳と身体の成長度合いをグラフで見ると、人間は生まれてすぐに身体の成長速度を下降させ、脳の成長を加速させていることがわかります。12歳ごろになると脳の成長がストップし、今度は身体にエネルギーを振り分けて成長を加速させますが、このとき思春期へと突入するのです。

人間の子どもの成長速度の経年変化を表したグラフ
身長の割合(青の実線が男性、破線が女性)、脳の成長速度(緑が女性、赤が男性)

思春期という時期は、人間の生命にとって危ない時期です。生まれた直後は死亡率が高く、その後親の目が行き届くので死亡率は下がります。ですが、思春期になると親の目が行き届かなくなると同時に、心身のバランスが崩れ、事故にあったり、精神的に病んだり、大人とのトラブルに巻き込まれたりして、死亡するリスクが高まるのです。この傾向は、時代の変化に関係なく、人間の生物学的な特徴といえるでしょう。

死亡率は子ども期、少年期に低く、青年期に高いことを表したグラフ

人間の成長に欠かせない特徴のひとつが共感力です。人間の子どもの成長を見ると、生後間もない時期から共感力を養う行動が見られます。生後6カ月ごろから目の前の人の表情を真似し始め、1歳になると指差しを理解するようになり、その後自分で指差しをして情報を相手に伝えようとし始めます。その後、12〜16歳で脳の成長は止まりますが、この時期から発達するのが「メンタライジング」という能力です。これは、他者の心の状態を推論解釈し、文脈に応じて柔軟に行動を理解する能力で、これにより人間は複雑な社会で生きられるようになりました。

脳の大きさと集団規模の関係

人間の脳の大きさと集団を形成する人数には相関関係があります。1993年、人類学者のロビン・ダンバーにより行われた研究では、脳の新皮質の比率とそれぞれの種が暮らしている集団の大きさの平均値を取りました。すると、大きな集団で暮らす種ほど、脳の新皮質比が大きいことがわかりました。人間の脳が大きくなった原因に言語が影響していると多くの方は考えますが、実はそうではありません。人間は、集団の大きさを拡大したことで、仲間の動態や性質、関係性を記憶するために、言葉が登場する前に脳が大きくなったのです。

化石人類の脳の大きさと集団規模の変化を表したグラフ

人類が進化の過程で形成してきた集団の規模は、現代社会にも反映されています。家族や親族といった姿を見るだけで誰かわかるほどの親密な関係性は、10〜15人で構成されます。共鳴集団ともいえるこの規模の集団は、言語を介さずとも、身振り手振りから相手の求めることを理解できるのです。たとえば、サッカーは11人、ラグビーでも15人、というように現代でもチームスポーツの1チームの人数に当てはまります。

また、30〜50人規模の共同体といわれる集団は、毎日顔を合わせ、誰かが欠けるとすぐにわかる程度の人数規模で、学校のクラスなどが当てはまるでしょう。現代の人類ほどの脳の大きさになると、150人規模の集団で生活するようになりました。この集団は、信頼感を持って相談ができる社会資本関係といえますが、150人が上限で過去に喜怒哀楽をともにした経験によってつくられる必要があります。

音楽的コミュニケーションが育んだ重層的な社会構造

言語が発達する以前から人間は「音楽的コミュニケーション」を通じて社会を形成してきました。音楽的なコミュニケーションとは、身振り手振りや声のトーン、マナーやエチケット、方言、服装、食事など、言葉によらないコミュニケーションを指します。

人間社会の大きな特徴は、家族と共同体という重層的な社会を構築した点です。家族は見返りを求めずに奉仕し合う一方、共同体はなにかをすれば見返りが得られる互酬制が基本です。家族と共同体とでは編成原理が違うため、両立させることが難しく、ゴリラやチンパンジーにはできなかった社会構造なのです。

人間社会の共同体の構造を表した図

人間の本質は、重層的な社会に適応するための高い認知能力にあります。人間は共感力を鍛えたことで、相手の立場に立って考えながらこの相反する二重構造を持つ社会を築くことができたのです。言語以前のコミュニケーションは、顔と顔を突き合わせて対面交渉するところから始まりました。そのうえで、食事や子育てをともにすることで、音楽的なコミュニケーションを発達させ、相手の感情や考えを読むことを経て、言語の創出へといたっているのです。

予測不能な世界と学校制度

現代社会では、情報技術の発展により身体を通じたコミュニケーションが減少し、情報だけのやり取りが増えています。5000〜6000年前に始まった都市文明は労働資源集約型の社会をつくりました。その後、18世紀の産業革命以降、人間を時間によって管理することが生まれ、国民国家と管理社会を生み出しています。

国民国家と共に発展したのが、現在の教育の基礎となった近代学校制度で、すでにつくられた計画をもとに着実に実行するための学びや身体管理が求められるようになりました。そのため、現代の学校教育では、予測不能な現実に直面したときに適応する能力をむしろ育めないという指摘もあります。

私たちはいま、通信情報文明の時代に生きています。2023年に世界の人口は80億人を超え、40年前に登場したインターネットを経て、SNSの時代を迎えました。人間の判断力には脳の「意識」と「知能」が必要ですが、通信情報文明のなかでは、知能の部分だけが情報化され、人工知能によって分析されるようになりました。一方、情報にならない意識や感情は、現代では使う機会が減りました。それにより人間の情緒的社会性が弱まっています。

コロナ禍を経た私たちは、目に見えない命と命のつながりを正しく理解しながら、そのうえに新しい人間の暮らしを構築し直す必要があります。もともと言葉は、身体に接地して、五感によって推論を拡張、体系化し、それをまた身体に接地し、言葉や行為で反応するもので、これによって会話が生まれていました。しかし、同時に私たちはいま、身体や意識を持たないAIが除法だけを組み合わせた「フィクション」に適応しながら生き始めようとしています。

社交による文化の再構築

現代は、人が人を信用する社会から、制度やシステムを信用する契約社会へと移行しました。人が信用できる時代は、たとえその人がいなくなっても、その人が持っているネットワークがまた自分を助けてくれます。しかし、それが日本でなくなってしまったのは、社縁や地縁、血縁が希薄になってしまったためです。

そこで、私たちに求められるのは、新たな社交による文化の再構築です。社交については、2003年に山崎正和さんが著書『社交する人間』のなかで解説しています。そのなかには、「参加者は協力してリズムを盛り上げる」「行動の全体はまるで音楽のように、ひとつの緊張感で貫く」という旨の記述があります。地域的コミュニティは社交によって成り立ってきました。社交を音楽的な仕かけによって再構築していくことが、私たちに求められているのです。これまでは「Think Globaly, Act Localy」の時代でしたが、今後は「Think Localy, Act Glocally」の時代を築く必要があると私は思います。

山崎正和による著書『社交する人間』から引用した、「社交とは何か?」

人は自然と文化の複合のなかで暮らしています。都市では人間の都合が優先され、変わらず安定しています。一方、自然は多くの命のつながりのなかで、想定外のことが起こりながらも、変わりながら安定しているのです。身をもって自然を体験しないと、この先行きの不透明な世界と向き合うことはできないのです。

そうしたなかで、私たちは地域の幸せを考えるべき時代に差しかかっています。信頼は、歌を歌ったり、スポーツをしたり、共同活動を通して、音楽的なコミュニケーションによって『流れ』をつくるなかで醸成されます。地域社会は、目に見える関係性の集団規模で構成されていますが、「One of Them」ではなく「One of One」を体感できる絶好の場といえます。そのなかに社交を開き、人々をつないでいくことが、いま私たちに求められているのではないでしょうか。

地域の時代の幸せを考えるうえで求められること

パネルディスカッション

オンラインではつくれない“頼るという社会力”を育む

パネルディスカッションでは、宮城治男さんとモデレーターの一木典子(サントリーホールディングス株式会社 CSR推進部長)が加わり、組織のあり方や教育の未来について議論しました。

一木:山極さんのお話で、家族や学校などの集団が変化していくなかで、共感力や社会性が育ちにくくなっているのではと感じました。これらの変化を補うために、どのような存在が必要だと思われますか?

山極さん:信頼できる仲間はオンラインではつくれないと私は考えています。言葉は人間のコミュニケーションとしては後発で、身体をすり合わせて共鳴しながら、社会をつくってきたことを忘れてはいけない。だからこそ、少なくとも毎日のように会う人、あるいは1週間に一度でも顔を合わせてなにかを一緒にする人との付き合いが大切です。

山極壽一さん(“君は未知数”のアドバイザー、総合地球環境学研究所 所長)

一木:心身が不安定な思春期の方々に、いまのテクノロジーや社会環境は、逆境にあるといえるのでしょうか?

山極さん:いま学校で教えられているのは、「自分の能力を高めて生きる力をつけなさい」というものですが、本当に求められるのは「頼る」という社会力だと思います。人に頼り、誰かに頼られながら、チームワークをつくっていき、ひとりでは超えられない大きな目標をみんなで超えていくための構想力を育まなければならないと思います。

NPOに求められる「やってみなはれ」の精神

一木:宮城さんは、社会起業家の方々と向き合ってきたなかで、いまの時代におけるNPOの存在意義をどのように考えていますか?

宮城さん:山極さんのお話をうかがって、これまでの学校制度は少し前の社会の事情に必要な形でつくられ、いまは古くなってしまったのかもしれないと感じました。それを大きなスケール、長い時間軸をもって俯瞰する視点をいただいた気がします。そしてあらためて、新しい共同体や文化をクリエイティブにつくっていくための教育のあり方に向き合うときが来たようにも感じました。

いままでは、目の前の顕在化した課題の解決や必要に追われていました。ですが、自分たちがどういう社会や関係性をつくりたいのか、そこに向かってどう子どもたちを育てていくのかを、ある意味クリエイティブに捉え直すことができるタイミングなのだと思います。

山極さん:AIの精度が上がってきたことで、AIを相手にしてさまざまなことをつくる時代がやってくると思います。ただ、AIは情報を組み合わせて期待値を出すことには優れていますが、ゼロから新しい発想を生み出すことは難しい。そこで大切なのが、サントリーの「やってみなはれ」という精神です。一人ひとりが違いを持って違うことを言い合うなかで、おもしろい発想が生まれ、一緒に練り上げて行動していくことが、人間社会の基本だと思います。

宮城さん:「やってみなはれ」という言葉のなかには、ただやればいいと突き放すわけでなく、それを見守る温かさを内包している気がします。踏み出す勇気をもらえるというか。

山極さん:私の解釈では「協力するよ」という気持ちが込められている気がします。たとえば関西では、おもしろいことを尊ぶ文化がありますよね。「おもろいやん」だけでは距離を置いて見ている状態ですが、その後に「やってみなはれ」という言葉が続くことで、「私も協力する」という積極的な気持ちが表れます。これが人と人を結びつけ、新たな動きをつくっていくスタートラインだと思うのです。

宮城さん:NPOの役割は、まさにそれを再構築したり、現代社会で失われたものをもう一度つくり直し、光を当て直す。あるいは新たに創造していくことだと思います。

宮城治男さん(“君は未知数”アドバイザー、NPO法人ETIC.創業者)

「おもろいこと」を見出すためのニュートラルな目利き

山極さん:いま日本に足りていないのは、起業をする「おもろい」人たちを見出す目利きだと、私は思うんです。そこにお金や人材派遣、物資提供などをしっかりと行えるNPOやNGOがあれば、若い人たちがもっとおもろいことをやってみようという意識を持つことができると思いますね。

宮城さん:私は、目利きの役割が思考停止に陥っているような気がします。社会のシステムが安定した時代が続いたので、それぞれの見方が固定されて自分で考えなくなってしまったというか、温かくありのままを受け入れる覚悟を持った目利きの能力が失われているのではないでしょうか。

本来、NPOはさまざまな事情を抱える人たちを俯瞰して、フェアでニュートラルな立ち位置から新しいことや子どもたちの可能性に向き合う立場にあると思います。ところが、NPOも助成金をもらったり、雇った人を守ったりするなかで、柔軟でクリエイティブな目利きがしにくくなる構造があるといえるでしょう。そこを抜け出して、主体的にイニシアティブを取ってつくり出す側に回れたら、社会の資本は自ずとそこに集まってくる時代が来ようとしてますし、それを信じてNPOのみなさんにはトライしていただきたいですね。

一木:サントリーの「やってみなはれ」は、まさしく「おもろい(おもしろい)ことをやってみなはれ」という意味なんです。「おもろい」ことはすぐに役に立つかわからない。でも、そのことに誰かが夢中になっていればおもしろそうだと感じますよね。実はいまの日本の大企業の創業者たちには、そういうマインドを持っていた人たちが多いんです。そのことを思い出して、NPOと一緒に「おもろい」ことを応援することが企業の役割だと思いますし、私たちが「君は未知数」を通じてやっていきたいことでもあります。