歴史 | HISTORY

遡ること約200年前、大きな希望を胸に抱いた青年、
ウィリアム・ティーチャーのあくなき挑戦は幕を開けました。
今もブランドの礎となっているティーチャーズのウイスキーづくりの原点を
ここに紐解きます。

遡ること約200年前、大きな希望を胸に抱いた青年、ウィリアム・ティーチャーのあくなき挑戦は幕を開けました。今もブランドの礎となっているティーチャーズのウイスキーづくりの原点をここに紐解きます。

第1章

ティーチャーズのはじまり

ここがポイント!ティーチャーズのブランド名は創業者ウィリアム・ティーチャーに由来します。ウィリアムは、幼いころから商いに触れて育ち、事業には品位や信頼が必要だと学びます。そののち、酒税法の改正を好機とらえ、グラスゴーでドラムショップ(今でいうワンショットバー)をオープンさせると、店は瞬く間にグラスゴーで有名な格式店となります。ここで発売した、持ち帰り用ボトルがティーチャーズの起源です。

1811年 
創業者ウィリアム・ティーチャーの誕生

スコットランドのグラスゴー郊外でウィリアム・ティーチャーは生まれました。1歳の時、父を亡くし、母子家庭で育ったウィリアムは、仕立て屋に弟子入りするなど、幼い頃から商いに触れるなかで、事業には品位と信頼が不可欠だと学びます。

1823年 
類まれな先見の明

この年施行された酒税法の改正により税率が下げられました。当時12歳のウィリアムは、ウイスキーの醸造を合法化するためにつくられたこの法律による変化をチャンスと捉え、高品質なウイスキーの製造に乗り出そうと心に決めます。

1830年 
ウイスキーのブレンド開始

ウィリアムは独自にウイスキーのブレンドを開始します。味わいはピートの効いたスモーキーなものでした。また、この頃、のちに妻となるアグネス・マクドナルドと出会います。交際を始めた2人は、アグネスの母ナンシーの経営していたグラスゴーのアンダーソン地区にあった衣料品店の手伝いを始めました。

1834年 
新たなスタイルの提案

ウィリアムは、手伝っていた食料品店でウイスキーの販売免許を取得。店の所有者の娘だった恋人アグネス・マクドナルドと結婚します。そして、1834年に、「ウィリアム・ティーチャー」と名を付けた最初のドラムショップ(今でいうワンショットバー)をオープンさせます。格式高い店の雰囲気の中で、上質なウイスキーを楽しむスタイルは瞬く間に評判になりました。創業当初から看板には、WT(W=ウィリアム・T=ティーチャー)のマークを掲げていました。そのマークは現在発売されているハイランドクリームの瓶にも大きく描かれ続けています。

1836年 
花ひらいた商才

ドラムショップは人気を博し2号店をオープンさせます。また、ウイスキーをボトルで販売するための酒類販売免許を取得。提供されるウイスキーの品質の良さと美味しさが評判になったことに加え、グラスゴーの人口が急増したタイミングと時期が重なったことも功を奏し、ドラムショップはほどなくして20店舗近くに拡大。店内で楽しむウイスキーだけでなく、持ち帰り用ボトルの販売も軌道に乗せます。

第2章

ハイランドクリームの誕生

ここがポイント!先見の明をもつウィリアムは、ブレンデッドウイスキーの製造が合法化されることを見据え、将来のブレンデッドスコッチの可能性を信じ、製造の計画を開始しました。ハイランド地方には珍しい、爽やかなスモーキーさを持つハイランドモルトに惚れ込み、何度も何度も試作して、これぞ「完璧」と納得できたブレンデッドスコッチ、それがハイランドクリームなのです。

1860年 
ブランドの代名詞、ハイランドクリームの誕生

この年制定された蒸溜酒法(Spirits Act)によりブレンデッドウイスキーの製造が正式に可能になり、ウィリアムにも、独自のウイスキー開発製造の許可が下りました。実は、蒸溜酒法が制定される前から、ウィリアムはブレンデッドウイスキー造りに着手しており、すでに数多くのブレンドレシピを作っていたといわれています。自らが求める品質に仕上がるまで試行錯誤を繰り返し、これこそ完璧と納得するまで吟味して、ようやくハイランドクリームを誕生させました。世の中の変化を見通し、高品質なウイスキーを愉しんでもらいたいという強い思いが、ハイランドクリームを誕生させたのです。その後、1884年にティーチャーズ ハイランドクリームがスコットランドにおいて商標登録されました。

第3章

世界への躍進

ここがポイント!ウィリアムによって、作られたハイランドクリームは、息子たちの手によって世界に広められていきます。また、息子アダムが、ティーチャーズのために開設したアードモア蒸溜所でつくられるモルトウイスキーは現在もキーモルトとして使用されており、ハイランドピーテッドの心地よく爽やかなスモーキーさを演出しています。

1876年 
息子たちの手で世界へ

名酒の誕生から15年も経たずしてウィリアムはこの世を去ります。しかしその精神と技術は、息子のウィリアム・ジュニアとその弟アダムに受け継がれました。二人は、ウィリアム・ティーチャー・アンド・サンズ・リミテッド(William Teacher & Sons Ltd)と名付けた会社を立ち上げ、輸出事業に進出し、会社を一気に飛躍させていきました。

1878年 
成功をおさめた輸出事業

ウィリアムから事業を引き継いだ息子ウィリアム・ジュニアとその弟アダムは、スコットランドからイングランド、そして世界へと販路を飛躍的に拡大させていきます。最初の輸出先はニュージーランドでした。その後ヨーロッパや西インド、アジアへ次々と出荷。長期熟成した蒸溜酒の価値が高まりはじめたのもこの時期でした。

1895年 
アードモア蒸溜所を開設

弟アダムは、質のよいティーチャーズを安定的につくりだすためには、ハイランド地方の質のいいモルトウイスキーの確保が必要だと考え、蒸溜所の建設に乗り出します。そして、ノーザン鉄道の沿線に土地を購入し、1897年に建設を開始し、1899年その地にアードモア蒸溜所を設立しました。アードモア蒸溜所で作られるモルトウイスキーは現在も変わらず、ハイランドクリームのキーモルトとしてブレンドされています。アードモア蒸溜所で醸造されているシングルモルトウイスキーに「アードモア・レガシー」という製品もあります。飲めば、ライトリーピーテッドの爽やかなスモーキーフレーバーを感じ、ハイランドクリームの出自を感じられるでしょう。また、長年2基のポットスチル1組を頼りにしてきた蒸溜所も、1955年と1974年に増設して、現在は大型な銅製スチル8基が稼働しています。

第4章

現在へ続くこだわり

ここがポイント!創業者ウィリアムの高品質なウイスキーを届けたいという思いは、150年以上たった今も変わらずティーチャーズブランドに継承され続けています。今宵150年以上続く長い歴史に思いをはせながら、スモーキーな香りのティーチャーズを愉しんでみてはいかがでしょうか。

1933年 
衰退と復活を越えて

堅調だったスコッチウイスキー市場ですが、一時150社を数えた蒸溜所も15社まで減少。英国では、不況と増税の影響で徐々に景気は後退し、ウイスキーを取り巻く状況は変化していきました。しかし、アメリカにおける禁酒法撤廃によって流れは再び一変し、会社は成長軌道に向かいます。

1972年〜1980年 
100万ケース超の金字塔

1972年、英国内での年間売り上げが初めて100万ケースを突破。その後も、1976年石油危機に端を発する不況下での売上減、スコッチウイスキー業界の競合激化という激動の時代をくぐり抜け、ハイランドクリームは1980年代後半に英国内のウイスキー売り上げ第2位の座を獲得するなど躍進を続け、150ヵ国以上に輸出され、とりわけインド市場では大きな成功を収めました。

1997年〜 
新たなチャレンジは続く

近年もティーチャーズの新たなブレンドへの挑戦は続いています。1997年には、インド独立50周年を記念して「ティーチャーズ50」を新発売。2010年、2012年には、「ティーチャーズ オリジン」と「25イヤーズオールド」が仲間入り。受賞レベルのブレンデッドスコッチウイスキーをつくり続けるために、長年の経験や専門知識により磨きをかけることに余念がありません。また、日本では、2019年に日本限定商品として「ティーチャーズ セレクト」を発売しています。