作・達磨信
土曜日の夜、都心のバーはいたって穏やかな時間がそよぐ。平日の夜とは大きな差があり、スーツ姿のビジネスマンを見かけることも少ない。
橋上マスターはその土曜日を休むようになった。奥様の介護を含めて、土日を連休にして引退の準備を着々とすすめている。
人生の重要な局面へ向かわせてしまっているヒロに対して、返事の催促は一切しない。店を継ぐことを拒まれたならば仕方がない、自分の我が儘を押し付けるつもりはない、何も遺せなくても構わない、というスタンスでいる。
それでもすべてをヒロに託す気持ちは強い。そしてヒロは一人での接客にまだ慣れてはいない。カウンターのなかにいて足元を風が吹き抜けていくような心細さに襲われるときがある。マスターは常に一定の感情で接してくれ、その静けさには厳しさとともにこころに沁みるような温かさがあり、ここしばらくはその温もりを噛み締めながら仕事をしているのだった。
いま、客は3人。津嘉崎さんが友人ご夫妻をお連れになった。詮索することのない津嘉崎さんはマスターがいないことを訝しがることもない。しかしながら夫妻のほうは「橋上マスターはどうされましたか」と聞いてきた。
ヒロは誰に聞かれても「今夜は私用がございまして」と答えるが、その度に店の主人という存在の重さを知る。
夫妻はたしか2年ほど前に一度お見えになったことがある。海沿いの古都で名店として知られる日本料理店の三代目ご主人と女将である。前回は津嘉崎さんのお嬢さんの結婚披露宴の帰りだったはずだ。
今回は津嘉崎さんが発起人となり催されているチャリティー写真展を訪れたという。それは世界各地の戦地を駆け巡った写真家たちの作品を集めた、かなり大がかりなものである。海外の報道写真家からの出展や講演もあり、現在の悲惨な状況をまざまざと伝えるショッキングな作品展として国際的な話題にもなっている。ヒロも休業日である明日の日曜日に行く予定でいる。
「顔も髪の毛も洋服も、埃だらけで煤けてしまった幼い女の子が、怯えることさえ失ったような、怒ったような目でカメラのレンズを睨みつけている写真がありました。背後には小枝に千切れたようにしがみついた赤い花が。その赤は女の子の救いようのない悲しみの色のように思えて......」
素敵な着物姿の愛さんという女将はそう言って涙ぐんだ。
津嘉崎さんは愛さんに穏やかな眼差しを送りながら、「これが現実に起こっているんです。日本人はもちろん世界の人々がもっとこうした悲劇に敏感になってほしい」と言って、メーカーズマークのソーダ割を口にした。
三者三様の一杯である。錦一さんはラフロイグのソーダ割。愛さんからは津嘉崎さんが好むメーカーズマークをベースにしたカクテルというオーダーがあり、ヒロはウイスキー・デイジーをつくった。
いつものようにデイジー、ヒナギクの名を冠したカクテルについてヒロは説明した。愛さんはとても喜んでくれたのだが、そこから花つながりで女の子と赤い花のショッキングな写真がよみがえってしまったのだ。
「日本はついこの間まで桜の話題で満開でしたよね。戦争報道はつづいていましたが、気持ちは桜の華やぎにありました。対岸の火事。反省です」
錦一さんがそう言って首を垂れると、津嘉崎さんは「戦争写真展の帰りだからこんな会話につながるのは仕方がない。ごめんなさい。気分を変えて、楽しく飲みましょう」と強面の口角を上げ、明るさを装いながら謝った。
「桜の開花は重要な年中行事の一つ、大々的な祭典ですから無理もないでしょう。桜にはすべてを忘れさせてしまうような華やぎ、いや、それを超越した人のこころを惑わすような美の一面、怖さがあるような気がします」
ヒロは思わず会話に入り込んでいた。錦一さんの桜、津嘉崎さんの楽しく飲もう、との言葉から、重い話題から外れていくようにとの想いがあった。
すると津嘉崎さんがヒロの後を受けて話をうまくつないでくれた。
「そういえば竹邨さん。ローヤルでしたよね。桜の花を舞う姿をイメージして生まれたウイスキーは」
「はい、そうです。山崎蒸溜所の奥に鎮座している椎尾神社、その鳥居にかかる桜の花弁が風に舞う姿、それをイメージしてつくられたようです」
ヒロがそう返すと夫妻はとても驚き、錦一さんは「津嘉崎さんの義父でいらっしゃる越水画伯が大好きなローヤルが。そうなんですか。いやー、知らなかったなー。言われてみれば、たしかに。ボトルの形状。あれは鳥居のイメージですか。味わいもとても華やかですし」と感嘆している。
そこで津嘉崎さんが錦一さんと自分へローヤルのロックをオーダーされたので、ヒロはつくりながら誕生の経緯を語った。
ローヤルはサントリー創業者である鳥井信治郎の遺作であり、その息子で二代目の佐治敬三との共作でもある。1960年に発売されたのだが、信治郎が香味設計においてイメージしたのが椎尾神社の桜、その花吹雪だった。
80歳を超えた信治郎に貯蔵庫で原酒のサンプルを集め、吟味し、ブレンドを繰り返す体力はすでになかった。父の遺作になるのでは、との思いを胸に敬三は原酒をサンプリングし、父が頷くまで何度もブレンドを繰り返しつづけたのだった。信治郎はその香りと味わいに納得して満たされたとき、"桜の花吹雪が目に浮かぶ"と評したと言われている。
ボトルのガラス笠コルク栓は椎尾神社の鳥居をモチーフにしたものだ。また全体のスタイリングは漢字の酒のつくりの部分にあたる"酉"(とり)を表現している。酉は干支のとりであるだけでなく、酒の壺、酒器でもある。
そんなヒロの解説を夫妻は目を輝かせながら、津嘉崎さんは頬を緩めて聞いてくれていた。すると愛さんが語りはじめた。
山崎は、はるか昔から桜との縁があると言う。そして「紫式部にも影響を与えた日本最古の歌物語とされる伊勢物語に、山崎の地が登場しています」とつづけ、主人公とされている在原業平が詠んだ歌の解説をしてくれた。
"世の中に たえて桜のなかりせば 春のこころはのどけからまし"
これは伊勢物語で山崎が舞台となっている渚の院という段のなかで詠まれたものだという。この世に桜がなかったなら、春に咲くのを待ち遠しいとか、散る様を惜しんだりすることもなく、もっとのどかにいられるのに、と詠んだのだと教えてくれた。
「女将は京都の大学で古典文学を学びました。だから得意分野」
代わって錦一さんが愛さんの経歴を話してくれた。しかも錦一さんが京都の料亭での修業時代に、二人して山崎蒸溜所を訪ねたことがあるという。
「あのときローヤルの誕生話を知っていれば。残念だなー」
錦一さんはそう言って悔しがり、愛さんは頷きながら「おっしゃる通り。桜は昔から人を惑わせる、夢中にさせる美があるようですね」と言った。
「たしかに。鳥井信治郎は香りや味わいの設計に桜という花のイメージを抱いた。美の追求というか、日本のウイスキーとは何かを追求する強い信念を感じますし、それを受け継いだ息子、二代目の姿勢も素晴らしい」
津嘉崎さんのその感慨を受けて、錦一さんが「わたしが家業を継いだのは自然の成り行きだったように思えますが、それなりの覚悟は必要でした。佐治敬三氏の覚悟には凄まじいものがあったはずです」と自分の想いを語った。
理屈ではなく、心意気、覚悟がいる。自分の場合、あるとき祖父や父がつくり上げてきた一本のブレることのない糸のような細く強い筋を感じ取ることができた。張りつめた緊張感もあれば、しなやかな弾力感もある。とても繊細で大胆。それが店の信念というものだった。胸に映り込んだ美しく光る一本の筋から意気が芽生え、真の覚悟ができたような気がする、と語った。
「あなたは高校生の頃にはすでに継ぐ覚悟はできてたじゃないの」
「いや、ほんとうの意味での料理人としての覚悟ができたのは修業時代だ」
津嘉崎さんは夫妻のやり取りを見つめ、「美。心意気。咲き誇る覚悟。散りゆく覚悟」と、カウンターに言葉を並べ置くかのようにそっと呟いた。
(第37回了)
絵・牛尾篤 写真・児玉晴希