バーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえるバーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえる

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ロック・アラウンド・ザ・クロック

悲しいかな彼のスターとしての活動期間は2年にも満たない。1959年2月3日、バディは飛行機事故で世を去る。

“That’ll Be The Day”“Peggy Sue”“It’s So Easy”などのヒット曲を遺して逝ってしまう。22歳という若きロックンローラーが悲運に見舞われたショックから「音楽の死んだ日」とまでいわれている。

後にマドンナがカバーした1971年の大ヒット曲、ドン・マクリーンの“アメリカン・パイ”の中に「バディ・ホリーが死んだ日は、ロックンロールが死んだ日」という詩がある。'73年の映画“アメリカン・グラフィティ”でジョン・ミルナーは「バディ・ホリーが死んでから、ロックンロールは下火になった」と呟いている。

たしかにそうかもしれない。バディが亡くなった年、流行は甘いバラードの感覚を抱いたロッカ・バラードへと移って行っている。ポール・アンカやニール・セダカといったシンガーソングライターが注目を浴びる時代になった。

エルビス・プレスリーが'58年から2年間徴兵で活動できなかったことも要因としてあるのだが、ほぼ同時期にチャック・ベリーはつまらぬ行為で逮捕され、リトル・リチャードは神学校に入り牧師となり(後に復帰)、ジーン・ビンセントは交通事故で後遺症を負うなど、オーソドックスでハードなロックンローラーたちが鳴りを潜めてしまった。ロックンロールの生みの親、人気DJのアラン・フリードがさまざまな圧力により第一線から退いたのも大きい。

 

ロックンロールが死んだ、とまで言われた1959年、プレミアムバーボンウイスキー、メーカーズマークが誕生した。

かつてない洗練された世界に通用するバーボンを目指し、しなやかでなめらかな絹のような味わいを追求したものだった。それまでのバーボンが若者のこころを奮い立たせるキックの効いたロックンロールだとすれば、メーカーズマークはバディのスマートなロックンロールといえるだろう。

メーカーズマークの香味の登場は、バディ・ホリーの生まれ変わりでもあった。新しい時代を予感させる風ともいえた。その通り、1960年代になるとミュジックシーンに新たな風が吹きはじめる。

1962年、復帰したリトル・リチャードのイギリス公演で前座を務めたのがバディの“ザットル・ビー・ザ・デイ”からバンド名を得たザ・ビートルズ、バディに憧れたミック・ジャガーとチャック・ベリーのギターリフに影響されたキース・リチャーズのローリング・ストーンズだった。そのときのリトル・リチャードのサポート・ギタリストがジミ・ヘンドリックスである。やがて煌めく偉大なアーティストたちの名が連なっている。

彼らのサウンドを聴き、彼らに想いを馳せながら飲むにふさわしいのはメーカーズマークのストレートだ。45度という高いアルコール度数を感じさせないしなやかな味わいには、「ロックンロール」から「ロック」へと移行する時代の熟成感が薫っている。

(第5回了)

for Bourbon Whisky Lovers