バーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえる

ロック・アラウンド・ザ・クロック

*このエッセイは前回、第4回からのつづきです。

メーカーズマークが1953年に蒸溜を開始し、樽の中でしなやかな熟成に向かっている最中、アメリカはロックンロールに席巻されていた。

映画『暴力教室』(1955年)の主題歌“Rock Around The Clock”で若者たちのエネルギーが爆発したところに、トラック運転手だったエルビス・プレスリーという若者がアメリカンドリームの体現者となる。1954年にデビューしたエルビスは白人社会には受け入れられていなかったR&B(リズム&ブルース)を堂々と歌った。歌唱力とともにパフォーマンスでも魅了した。大人たちは弾圧運動を繰り広げるが、非難を浴びながらも腰を振る彼に若者たちはより熱狂していく。

同じ'55年にはエレクトリックギター、つまりロックギターのテキストというべきスタイルを確立することになるチャック・ベリーが“Maybellene”を大ヒットさせる。ギンギラの派手なコスチュームを着て、ピアノを弾きながらシャウトするりリトル・リチャードは“Totti Frutti”で一躍有名になった。

'56年、エルビス・プレスリーの“Heartbreak Hotel”が全米ヒットチャートNo.1となる。たちまち彼はブレイクし、世界的スーパースターとなり、キング・オブ・ロックンロールの道をひた走る。革ジャンがシンボルでツッパリ風のジーン・ビンセントも“Be-Bop-A-Lula”でエルビスに迫る人気となった。


翌'57年にバディ・ホリー&ザ・クリケッツがデビュー。バディはそれまでアクが強くクセのあったロックンロールとは異なる、洗練されたスマートなサウンドで全米の若者たちのこころを捉えた。

ラジオから流れるバディの演奏とアクセントのあるしゃくり上げるようにして裏声で歌う唱法を聴いた誰もが、黒人ミュージシャンだと勘違いした。ミック・ジャガーも、レコードジャケットの写真を見てはじめて白人だと知った。

しかも眼鏡にスーツ姿、ギターはフェンダー・ストラトキャスターというスタイルはそれまでのロックンローラーにないものだった。眼鏡に抵抗があったジョン・レノンは、バディのおかげで眼鏡を堂々とかけられるようになった。

 

当初は貧乏で、巡業代がかさまないようにバンドはギター2本、ベース、ドラムスの4人編成。結果的にそれが定着することになり、ビートルズをはじめ多くのロックバンドが倣った。さまざまな面でミュージックシーンに新風を送り込んだといえよう。

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