THE OOLONG-CHA WORLD HISTORY | ウーロン茶の世界史 〜ウーロン茶は紅茶の母である〜

紅茶って、元々はウーロン茶だったということをご存じでしょうか?その壮大なウーロン茶の世界史を、ここでは順番にお話しします。またクイズにお答え頂き全問正解された方には、全問正解認定書が与えられます。ぜひチャレンジしてください。

ウーロン茶は、海路でヨーロッパへ

お茶は2つのルートで世界に広がった

お茶は2000年以上も昔、中国で誕生したのち、時代を経て主に陸路と海路の2つのルートで世界に広がったと考えられています。そしてお茶の伝播に伴って、「お茶」を意味する言葉も中国の影響を色濃く受けながら各地に伝わっていきました。中国ではお茶のことを、広東語で"CHA"、福建語で"TE"と呼んでいましたが、広東語の"CHA"は陸路で北京、朝鮮、日本、チベット、中近東などへ伝わりました。そして福建語の"TE"は海路でヨーロッパに広がったのです。たとえばお茶は英語で"TEA"といい、主に「紅茶」を意味しますが、これは福建語で「お茶」を意味する"TE"に由来しているのです。

海路ルート=TEルートでの伝播

16世紀に生まれたウーロン茶は、15世紀末に拓かれたアフリカ南端の喜望峰を迂回する、海路で運ばれました。大航海時代の当初、中国とヨーロッパの貿易はポルトガルが独占していました。ポルトガルは、広東語圏であるマカオを基地としてお茶をヨーロッパに伝えていたため、お茶を「CHA」と呼びます。しかし、本格的にお茶をヨーロッパに普及させたのは、後続のオランダやイギリスでした。それらの国は、福建省のアモイを基地としたため、ヨーロッパの多くの国々では、お茶を「TE」に由来する言葉で呼ぶことになったのです。

目次へ戻る

BEFORE

NEXT