受賞のことば
思想・歴史2025年受賞
『ユダヤ人の歴史 ─ 古代の興亡から離散、ホロコースト、シオニズムまで』を中心として
(中央公論新社)
1982年生まれ。
東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。埼玉大学研究機構准教授などを経て、現在、東京大学大学院総合文化研究科准教授。
著書 『ロシア・シオニズムの想像力』(東京大学出版会)、『イスラエルの起源』(講談社)など。
学部一年生のとき、それまで読書を馬鹿にしていた私は、授業で指定された参考書に触れるうちに新書や学術書が面白いことを知った。生協書籍部を物色した際に偶然目に入った小熊英二『単一民族神話の起源』のオビに「サントリー学芸賞受賞」とあったのが、本賞との、さまざまな意味での出会いだった。
同書のタイトルに引かれるとともに、初めて目にする賞とはいえ、賞を受賞したぐらいだからきっと良い内容に違いないと思ったのだろう。実際、夢中で読み、すっかり学問の虜になったことは鮮明に覚えている。当時の私には、現代の観点からは倫理的にとても許容しがたい戦前日本の諸思想が、それでも当時においては何らかのまじめな思考や固有の背景から始まり、いつの間にか論理が独り歩きしていったという話に心が揺さぶられた。その時味わった興奮を求めて、今日まで学問を続けてきたといってもよい。
また、ある特徴が生まれる局面の解明こそが、学問の公共的な価値であるとの信念もこの本によって芽生えたように思う。あれだけの犠牲をもたらした戦前の日本の諸論理が何によってもたらされたのかを明かすことは、人類にとって不可欠なことであるように思えたからだ。
2023年10月7日、ユダヤ人にポグロムやホロコーストを想起させる事態が起こった直後からガザで虐殺が2年以上続き、パレスチナ/イスラエルをめぐる問題はさらに困難を極めることになった。ただ、上述書に出会った四半世紀前の時点でも、当地はすでに十分に困難に見舞われていた。アル=アクサ・インティファーダの時期であり、イスラエル政府のやり方に私は大いに違和感を覚えていた。なぜそんなことをするのか――。この怒りを伴った問いが私の原点である。ゆえに、当初、イスラエルやシオニズム、さらにはユダヤ人に関しても、遠ざけたい思いがあった一方で、だからこそ、深く知りたいし、知るべきだとも思った。その意味で私は例えばマルクス主義者たちが世の不条理に憤慨し、その構造の解明に奮闘したように、とてもイデオロギッシュだった。恵まれていたことに、そうした想いを同じくする人びとが私の周りにはたくさんいた。
受賞の筆頭となった拙著は、ユダヤ人という、きわめて特殊に見える人びとが、なぜそのようになり、またそう見えるのかを、「組み合わせ」に注目して歴史社会学的に探った。偏った私が、一生懸命学問するなかで巡り合った豊かな知見を編んだものである。それが選考委員の先生方の琴線に触れたことが何よりも嬉しかった。もちろんまだ偏向ぶりが足らないことは自覚している。パレスチナ/イスラエルでの不条理はなぜ生まれたのか。現状を均衡と捉えない偏屈さをこれからも大切にしていきたい。




