本書は大変マニアックな書です。「神楽」は、日本列島で1000年以上の歴史を持つ文化現象で、全国に数千件伝承されていると言われています。そうした数多ある神楽のうち、広島県庄原市の「比婆荒神神楽」という1つの神楽の歴史を描いた本です。
 とはいえ、ただ単にマニアックなままでいたら研究になりません。そこで、1つの事例を集中的に調査し、そこから議論を深めて多面的に分析していく研究、つまり「一点突破、全面展開（昔恩師の1人に教わりました）」を目指しました。その結果、神楽「の」変遷研究だけではなく、神楽「を」通した人間であり社会のあり方の探求もできたのかなと思います。そうした点が、今回過分な評価をいただけた理由なのかと感じています。
 本書の根幹にあるのは、基本的に部外者非公開の祭りを拝観させていただいたり、貴重な資料を見せていただいたりといった現地調査の積み重ねです。特に、調査地である庄原市に夜行バスで通い、民家に泊めていただいて酒を飲みながらお話を聞くことで、多くのことを学ばせていただいてきました。そうした世代や生活環境の違う方からの聞き取りの蓄積こそが、本書の要になっています。縁もゆかりもなかった私を迎え入れ、育てていただいた庄原の皆様に感謝申し上げます。
 そうした地域に即した具体的な内容を、どのようにしたら学問上、社会上に位置づけられるかを考えた結果、社会史という視座にたどり着きました。神楽という芸能の歴史を、神楽を舞う「人」に注目し、社会の中で生きる芸能伝承者の活動史として描きだす試みです。それにより、なぜこの神楽が350年以上にわたって現在まで絶えることなく伝承されてきたのかという「伝承の原動力」を考察しました。このような長期的な視野から、神楽の変化と不変のさまを分析すると、変わらなかったのは担い手である神職や舞太夫にとって神楽は「商品」であることです。地域の人々から依頼を受けて神楽を演ずる彼らは、常に変化する社会・思想・価値観の中で、商品である神楽を享受者にとって意味あるものにし続けようと創意工夫を繰り返してきました。比婆荒神神楽は、各時代のなかで変化することで、多様な意義を生み、地域の人々にとって価値がある存在であり続けてきました。このような変化をもたらす創意こそが「伝承の原動力」であり、変化こそが不変を生み出すという逆説的な図式が見出されました。
 以上のような本書に対して、身に余る光栄な賞を賜り、心より感謝申し上げます。研究対象の民俗芸能をめぐる状況は、少子高齢化による後継者不足や価値観の変化などにより、年々厳しくなっています。民俗伝承の変容過程のモデルを描いた本書が、なんらかの形で役に立つことがあれば、望外の喜びです。