選評
社会・風俗2025年受賞
『比婆荒神神楽の社会史 ─ 歴史のなかの神楽太夫』
(法藏館)
1988年生まれ。
総合研究大学院大学文化科学研究科日本歴史研究専攻博士後期課程修了。東京文化財研究所無形文化遺産部研究補佐員を経て、現在、国立民族学博物館人類文明誌研究部准教授。
著書 『人のつながりの歴史・民俗・宗教』(分担執筆、八千代出版)
広島県庄原市東城町・西城町の地に、350年以上も前から脈々と伝わる比婆荒神神楽。従来、その歴史は「祖霊加入」や「神の託宣」といった、ややもすると本質主義に傾きかねない神楽の意味論によって説明されることが多かった。これに対し、本書が試みるのは神楽の社会史である。注目するのは「人の生きざま」だ。それぞれの時代の社会的状況のなかで、神楽に関わる人々が、神楽を通してどのようにサバイブしてきたか。神楽を伝える、ではなく、神楽が伝わる。伝承とは、そのときどきの現実的な制約条件に、ときに節操なく見えるほどの創造性で応答していく、その積み重ねのことを言うのだろう。
そもそも比婆荒神神楽は、地域の人々が神楽の担い手である社家に開催を依頼することによって初めて実施される。つまり、毎年開催が決まっている例祭の場で地域の人々が演じて奉納する形式とは異なり、完全にオンデマンド方式なのである。当然、年に数回大規模な神楽が開催される年もあれば、全く行われない年もある。不幸が続いたときや逆に豊作で五穀豊穣を感謝したいとき、願掛けをしたいときなど、依頼の理由はさまざまだ。
このことは、比婆荒神神楽に「商品」としての性格をもたらす。神楽の担い手は、顧客である地域の人々との信頼関係を構築するために日頃から努力を重ねてきた。また内容についても、娯楽としての価値を高めるために歌舞伎や浄瑠璃といった流行を取り入れたり、逆に担い手の立場を守るために仏教的要素を廃したり、国家神道の教説を取り入れたり、時代に合わせたさまざまな工夫を重ねてきた。こうした変化を、著者は決して「古態の喪失」と嘆いたりはしない。現実的な利害をめぐる争いのなかで、利用できるものは利用し、捨てるべきものは捨て、最適解を試行錯誤しながら神楽の商品価値を高めていく。どこか即興的な人々の営みの結果が、比婆荒神神楽の歴史なのだ。
その歴史を、著者は、旧家に伝わる古文書、藩によって編纂された地誌、伝承者の手記、面や道具箱に記された墨書、当事者への聞き取りなど多種多様な資料を用いて明らかにしていく。その分析は緻密で、文体は学術書にふさわしい抑制的なものなのだ。だが各章の末尾に置かれた「小括」だけは少しだけトーンが変わる。それまでの資料にもとづく緻密な分析が著者自身の言葉で総括されるため、一気に見取り図がクリアになるとともに、書き手の声がより明確に聞こえる感じがするのだ。読んでいるうちに、この「緻密な分析→小括」という転調のリズムがだんだんクセになっていき、次第に、「この分析はあとでどんなふうにまとめられるのだろう」と楽しみになるほどだった。
あとがきには、この本を完成するにあたって、著者が実にたくさんの「研究会」に参加してきたことが綴られている。大学の壁や分野の壁、地域の壁にとらわれず自在に移動しながら思索を深める姿勢に、小括でほとばしり出ていたのはこの情熱だったのか、と合点がいった。人の営みの中に事象を置くことで幻想を解体する研究スタイルと、それを支えるアクティブでまっすぐな情熱が、今後のさらなる研究領域を開拓することを期待したい。
伊藤 亜紗(東京科学大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)




