選評
芸術・文学2025年受賞
『フロレンスキイ論』
(水声社)
1990年生まれ。
東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了。
日本学術振興会特別研究員(PD)などを経て、現在、東京大学大学院総合文化研究科准教授。
論文 「天動説ともうひとつのユートピア」(『ユリイカ』2023年1月号)など。
旧ソ連の怪物的思想家をめぐる圧倒的な著作である。フロレンスキイはロシア正教の司祭であると同時に、レーニンによる国土電化計画にも携わった科学者/数学者。最後はスターリンにより処刑された。その知識はカントールの集合論や虚数概念からダンテやノヴァーリスやロシアのイコンにおよぶ。ふつう人はこのような人物を研究対象にすることに恐れをなすだろう。そして「科学者でもあったロシア神秘主義者」のレッテルを貼り一件落着とする。しかし細川氏はこの怪物を前に臆さない。思想の全容を真正面から全身で受け止める。「全」というところがポイントだ。西欧近代は「全体」を「専門」という名の細部に分割することを絶対善としてきた。しかしフロレンスキイは「全体」を回復しようとする。近代への強烈なアンチテーゼだ。だから「ここまでは文系/ここからは理系」などと分割していては、全貌は理解できない。かくして細川氏は文系知と理系知が交錯する未到の森へ踏み出す。非ユークリッド幾何学とダンテ、ゲーテと無理数、美をめぐる思想と不連続関数の間を自在に往復する。それはまるで『神曲』におけるダンテの旅だ。文系領域にこもっていては絶対にわからない何かが見えてくる。
おそらくフロレンスキイ思想のライトモチーフは、「この世界」に対する「もうひとつの世界」の構想だ。表面に対する裏面、有限に対する無限、実数に対する虚数、地に対する天、そして生に対する死。その中心となる概念が「かたち」である。「美」である。鉱物の結晶体のように強靭で完璧な「かたち」。それ自体で全宇宙=コスモスを成すかたち。そこにこそ「美」が宿る。そして完璧な美は、例えばロシアのイコンがそうであるよう、逆説的に「もうひとつの世界」への移行点となる。そのとき芸術作品=かたちは祈りになる――私にはこの感覚がよくわかる。本書ではフロレンスキイの友人としてマリア・ユーディナの名が挙げられていた。旧ソ連のこの伝説の女流ピアニストが弾くバッハやモーツァルトには、確かにこのような意味での美とかたちと祈りが宿っていた。
ルネサンス遠近法/ガリレオの地動説/デカルト座標/ニュートン的古典物理学で確立された「世界を見る枠組み」を、相対性理論と量子力学以後の先端科学者はもはや信じてはいまい。本書が示すフロレンスキイの世界像は、ひも理論やパラレルワールドやフラクタル概念と驚くほど近いと感じる。それに引きかえ「文系」は旧態依然たる古典物理学的客観性にいまだに立てこもってはいないか。こんなことで近代を撃つことなど出来るのだろうか―― 自分を省みて猛省する。
どう見ても近代世界の賞味期限が来ていることは明らかだ。今求められているのは、後期近代の手垢でまみれた文理融合などではなく、近代が分断した知の再統合であり、そこへ向けた逆コペルニクス的転換ではないか。新しい世界像の構築は、きっと新しい「かたち」を見つけることから始まるのだ。理論物理や先端数学だけでなく、「新しい美のかたち」を見つける芸術の使命も大きい。若い著者に限りない畏敬の念を抱きつつ、さらに大きくかつラディカルな思想展開を心から待望している。
岡田 暁生(同志社大学客員教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)




