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サンゴリアスをもっと楽しむコラム

2015年11月 7日

「少年サンゴリアス」Vol.51 仲村慎祐『兄姉からお小遣い』『包囲網』

「少年サンゴリアス」Vol.51 仲村慎祐『兄姉からお小遣い』『包囲網』
 
生まれたときは3,800gです。4,000gを超える人もいますから、特別デカいという訳でもなかったわけです。両親は大きくて、父親が180cmちょっとあって、母親が163cmぐらいあるのかな。今もう還暦なので、歳を考えたらデカいと思いますね。
 
お兄ちゃんが2人、お姉ちゃんが1人いるんですが、両親は2人とも再婚で、みんな連れ子なんです。片方のお兄ちゃんとお姉ちゃんが親父の連れ子、一番年上のお兄ちゃんが母の連れ子で、僕は2人の間の初めての子どもなので、可愛がられました。

 
兄姉はみんな僕と歳が離れていて、一番上のお兄ちゃんは、今もう40を過ぎてますし、みんな40代ですね。一番上のお兄ちゃんは母がたしか18歳ぐらいの時の子どもで、僕は40歳を過ぎてからだと思います。
 
兄姉は歳が離れ過ぎていて、とっくに大人だし、僕とはあまり関わらなかったというか、兄姉っていうより、おじさんおばさんっていう感じです。「お兄さんお姉さんだよ」とは言われていましたが、兄姉がもうお小遣いをくれていたので(笑)。
 
兄姉とは争いがなくて、親からも可愛がられ続けて不自由がなかったので、僕はかなり丸く育ったんじゃないですかね。反抗期があった訳でもないですし。
 

 
『包囲網』
 
 
僕は中学から私立の報徳学園に行きました。小学校5年生ぐらいからやり始めたバスケットボールを、中学時代もずっとやっていました。小6で180cmありましたから、デカかったんですね。親父が昔バスケットボールをやっていたので、それもあって「お前バスケットやったら」というのが始まりでした。小学生レベルで遊びなので楽しくやっていて、中学に入ってもそのままやって、中学でも楽しくできました。

 
学校は中高が同じ校舎なんですが、バスケットをやっているのに高校のラグビー部の先輩から、「お前、ラグビーやれよ」って言われていました。「高校に上がったら、もうラグビーやろうやぁ」ってずっと言われてました。1つ上に双子の先輩がいて、キヤノンとヤクルトでラグビーをやっていた甲斐兄弟(兄 洋充・弟 寛希)なんですが、とくに寛希さんには誘われていました。
 
それで高校に上がったら、担任の先生が野球部の顧問だったんですが、「仲村、お前ラグビーやらへんか」って言うんですよ(笑)。ラグビー部の顧問は社会の先生なんですが、その先生にも「お前ラグビーやってみんか」と言われまして、でも僕は個人競技に興味があったので、柔道部に仮入部してみようかと見学に行ったりしていたんです。

 
そうしたら柔道部の顧問の先生も、「柔道もいいけど、ラグビーもいいぞ」なんて言うんですね。よくよく考えたら柔道の顧問の先生は、高木先生という方で、ヤマハにいた元ラグビー日本代表の高木選手(重保)のお父さんなんです。それで家に帰ったら親父も「お前ラグビーやれ」って言うんです。皆つながってたんですね。
 
どこからスタートなのかわからないですが、どうやら僕にラグビーをやらそうという包囲網が出来ていました(笑)。「これだけ言われたら、ちょっと仮入部してみようかな」と見学へ行って、仮入部届けを出したらそれがいつの間にか本入部届けになっていて、それでラグビー部に入っちゃってました(笑)という感じです。
 
 

『ボールが来てピボット』
 
 
どこの高校もそうだと思うんですが、ラグビー部に入ったら最初はめっちゃくちゃ楽しく教えてくれるんですね。簡単な練習ばっかりで、楽しくやらせてもらって、「あぁ、ラグビーって結構楽しいなぁ」って思って(笑)、それが入って2週間ぐらいで急に豹変するんです。
 
めっちゃキツイし、いきなり試合に出されて、ラグビーのルールも何も知らない。僕はバスケ部だったので、ボールを持った瞬間に、軸足を動かせないんです、癖で。トラベリングになると思って走れないんです。走れないし、ボールを取られてはいけないと思うので、ボールを両手で上に掲げたまんまで、ピボットターン(軸足を中心にしての回転)してしまったんです(笑)。
 

そうしたら経験者に思いっきりタックルに入られて、思わず「ファールやろ、これ」って(笑)。「いや、ファールはないんや、ラグビーには」と。最初はそんな感じでした。その時はもう、怖かったですね。
 
高校に入って身長188cm、体重も100kgちょっとあったんで、体は大きかったし力も強かったと思うんですが、なんせコンタクトゼロの、手をちょっとパチンとたたいただけでファールというスポーツをやっていた訳ですから、部に入って来て1週間で試合に出たら、もう怖くてしょうがなかったです。
 
スポーツじゃないんじゃない、喧嘩の世界だと思いました。男子校だったのに喧嘩もぜんぜん出来ない子だったので(笑)、それに慣れたのはようやく最近ですよ。いつまで経っても怖い時は怖かったですから。
 

『こういうこと出来んのや』
 
 
人とぶつかったり殴り合ったこともないような人間が、いきなりコンタクトしたらビビっちゃいますが、僕の場合は体が大きかったし丈夫だったので、何かたまたまうまいこといった時に、成果が出たんですよね。
 
高校1年生で入って数週間、当たったこともないし当たり方も分からなかったんですが、コンタクトバッグを持っている人間にボールを持ってヒットしていくという練習があったんです。今でも覚えているのは、3年にプロップのゴツい先輩がいて、その人がバッグを持っているとビクともしないんですよね。ぶつかった自分が頭痛になるくらい強い。
 

それが何がどうなったんだか分からないんですが、ある時うまいこといって、自分としては何気なくいつも通り当たった筈なのに、その先輩が仰向けに倒れたんです。その時に「お前すごいやんけ、あの先輩倒したやんけ」みたいになって、「あ、俺の体だったらこういうこと出来んのや」というのがわかったんです。
 
そしてそういう時って自分は痛くないんですよね。そういうのが分かった時に、楽しいし、しかも自分が怪我しない。痛くないためにも、そうやらなきゃ、というコツをつかんでいって、そこからちょっとずつ自信を持っていったという感じです。
 
僕は授業中、寝ないで話だけは聴いておこうというタイプだったので、そんな悪い点は取らなかったんですが、勉強は好きじゃなかったんですね。だからスポーツをやっていなくて勉強1本で何か出来たかと言われたら、絶対に無理だった思うんです。
 
親もそれを分かってたんですね。正解だったと思います。自分に将来子どもができたら、自分の親がしてくれたように、子どもの向き不向きとか考えて判断してあげたいと思います。

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