CLUB HOUSE

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サンゴリアスをもっと楽しむコラム

2009年4月13日

「少年サンゴリアス」 Vol.26 山下 大悟
『寮生活』

少年サンゴリアス 山下大悟写真1

小学校の時に何をやっていたかと思い出すと、親父がラグビー部の先生をやっていたので、日曜日にはいつも親父に連れていかれました。親父は県立高校の先生で、ラグビー部の顧問をやっていたので、よくそこに連れて行かれましたし、合宿にもよく連れて行かれて、高校生とかに、僕はよく可愛がられていました。それが小学校2~4年生の時です。今はその時の親父の教え子の接骨院に行ったりします。

日曜毎に行った先で、いろいろと社会勉強をしていました。それで普通の小学生よりは、ませていたのかもしれません。今では考えられないくらい、親父が部員に厳しく指導していて、負けた後とかは更に厳しかったですね。そんな親父でした。家ではまったくそんなことはしませんが、行った先ではそういう姿をよく見ていました。

その代わりでもありませんが、お袋とかがたまに平日の夜に映画を観に連れて行ってくれたりとか、観劇に連れて行かれたりしていました。土日に家族でどっかへ行ったということはなく、その頃は週休2日ではないので土曜日も休みではなく、親父も学校がありましたし、どこかへ連れて行ってもらったりとかというのは、ラグビーの練習とか合宿以外はまったくなかったですね。2人兄妹ですが、お袋も僕と4つ離れている妹と2人見るのは大変なので、たぶん親父に預けたんでしょうね。

そうやって大人の世界というか、ませた状態で中学に入って、寮に入りました。まぁ優等生ではなかったですね。悪かったですよ。ラグビーをやりたくて中学受験をして、茗溪学園入って寮生活を始めました。6年制の学校なので、そこには中学生と高校生がいて、中学生のフロアが4つありました。年頃の中学生が集団生活すると、変なしきたりとかルールがまだ子供なので果てしなくあるんです。

それで間違いなく上下関係が半端じゃなく、1、2、3年生が1人ずつの3人1部屋なんです。僕は比較的早く慣れた方ですけれど、慣れない子は出て行っちゃうんですね。ホームシックになって。そしてやんちゃ盛りが集まると悪さもいっぱいします。5時半門限なんですが、部活も5時半までで、それから7時半まで沈黙の時間と言って、勉強しなければいけない時間が2時間あるんです。机があって廊下があって自分の部屋があるんですが、その机で勉強しなきゃいけないんです。その後、10時消灯なんです。ありえないじゃないですか。あとカップラーメンと漫画が禁止です。

やんちゃ盛りのパワーが有り余っている私たちとしては、無理ですよね。夜、10時消灯の後に、先輩が「腹減った」と言うんです。ホットスパーというコンビニがあって、スパーに行く特攻隊でスパ特って言うんですが、「スパ特!」と言われると1年生3人ぐらいで行くんですよ。見つかったらまずいのですが、寮には各フロア毎に先生が住んでますから、見つからないようにして、禁止のカップラーメンを買って来いと言われると、禁止の物を持ちながら帰ってくるんですよね。先生がたまに部屋にまわってくるので、その時にいないのもマズいんです。

当時まだETCはなくて、ハイウェイカードだったんですが、僕が悪さをする度に、親父が呼び出され、「ハイウェイカードすぐなくなるじゃないか」とか言いながら、来て怒られてましたね。ただ勉強は出来たんですよ。自習の時間に勉強もしていたし、ポテンシャルもありました。勉強はしておいた方がいいだろう、と思っていたので、学年でたぶん20番以内に入っていたと思います。日本史、地理、数学も得意でした。

先生も厳しいし先輩も厳しいんですが、2年生になると中ぐらいになり、3年生になると偉くなります。偉くなると、ひたすらイジリましたね。もともとイギリスのパブリックスクールを目標にしていた学校だったんですね。あまりやり過ぎると、停寮、と言って、寮から一定期間出されたりするんですが、そういうのは僕はありませんでした。

お袋とかは、あなたはどうやって大きくなったかわからない、というくらい、あまり親との接点がなかったんじゃないかなと思います。夏休みに旅行に一緒に行っていましたが、習い事の水泳とかも、自分で行くと決めて行ってましたし、家の前にバス停があるので自分でバスに乗って行ってましたから。送ってもらうとかはなかったですね。塾もバスで行っていたし、だから朝会って夜会う、そんな感じでした。それで成績とかもそこそこでしたし。帰って来るときは、「小遣いくれ」ですから(笑)。

自分が親になって、今は自分も土日が忙しいので子供に対して出来ていないところはありますが、ただあの頃の親父と比べてよっぽど for the family だと思いますよ(笑)。

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