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クラブハウス

2009年4月10日 YELLOW FLAG 「少年サンゴリアス」 Vol.25 上村 康太
『ジョージに食べさせたい餃子』

少年サンゴリアス 上村康太写真1

中学校までは結構ヤンチャをやっていましたね。高校は国学院久我山高校に入学したのでヤンチャもできず、まじめな少年になりました。中学校まではいろいろと面白い話があります。まず物心がついた頃に両親が井草八幡のちょうど前で中華料理屋をやっていて、それが夜の8時9時くらいまでだったので、小学校に行って児童館(0〜18歳の子どもが遊びを通じて健康を増進することを目的とした児童厚生施設)が終わるといつも厨房の横の部屋で兄貴と親父のおいしい中華丼を食いながら、海苔をかじりながら居たのをすごく覚えています。そして小学校からは、最初は水泳を始めて、次に野球、それでサッカーとかもやって、いろんなスポーツを自分から好きでやっていました。やらされたというよりも自分からやっていました。友達がいっぱい欲しくて、サッカー部の友達も欲しいし、野球部の友達も欲しいし、クラスでもいっぱい友達が欲しいし、ずっと外で遊びまわったり、学童クラブでずっと遊んでいたりしていました。

よく食べさせてもらっていましたし、よく食べる子でしたね。親が料理屋だったので本当に味もおいしくて、今でも実家に帰ると親父が作ってくれたり、家の味はいいですね。お袋の料理もめちゃくちゃおいしいです。週1回木曜日にお店が休みの日、親父が中華料理のごちそうを作ってくれるんですよ。僕はそれがめちゃくちゃ好きで、酢豚とか餃子も一から作って、あと唐揚げとか炒飯とか、それは本当に自慢できる料理です。プロなんでね。ジョージ(グレーガン)にもその餃子を食べさせたいですね(笑)。この前同窓会があって、同窓会でみんな言うのが「お前ん家の餃子はうまい!」って。普通の標準サイズなんですけど、ニンニクが結構強くて、ニラが入ってしっかりした餃子です。

プールに通うのも野球部の合宿も、友達と一緒にいるのが好きで、やっぱり学校から帰って家にいても、親はまだ働いていて家には3つ上の兄貴しかいないし、結構カギっ子で寝るギリギリに親が帰ってくるので、そういう寂しさもあって、友達がいっぱい欲しかったのかなって思います。

小学校の時は3つ上の兄貴に結構やられまくっていて、その兄貴がハチャメチャな兄貴で、1つ覚えているのは『ファミ通』っていうファミコンの雑誌があって、それを兄貴が毎週買っていたので家にいろいろあったんですけど、僕の友達がある週のファミ通を貸してほしいって言ったので、兄貴に内緒で貸したんですよ。それで夜になって兄貴がゲームを始めてファミ通を探しだしたんです。それで「お前あれどうした?」って聞かれて、「貸した」って答えたら、兄貴に凄く怒られて夜に泣きながらファミ通を貸した友達の家に歩いて行って「ごめん、返して」って言ったこともありました。あとは押入れに詰め込まれた事もあります。それで今でも閉所恐怖症なんですよ。MRIとか怖いです。ヤンチャな兄貴でした。今はめちゃくちゃ仲良いですよ。試合を見てくれる度に「もっとこうした方がいいんじゃない?」と言ってくれます。

兄貴もずっとラグビーをやっていました。兄貴は高校から大学まで5年間くらいやっていました。兄貴はいま仕事で長崎にいるんですけど、帰って来る時は必ず会って飯食うし、どっかに出かける時は一緒に出かけます。兄貴の思い出はやられたこともそうですけど、僕が中学2年の時に兄貴に勧められてラグビーを始めたんですけど、僕6年間ずっと野球をやっていて、中学で体力余っていてヤンチャしていて、兄貴がそういうのを見ていて「お前そんなことやってんだったらラグビーやれよ」って言ってくれて、それで杉並ラグビースクールを兄貴が調べてくれて、紹介してくれたんですよ。その時兄貴は大泉高校ラグビー部のキャプテンをしていました。

杉並ラグビースクールに連絡をして、「日曜日に練習があるので来て下さい」って言われたので行ってみたら、いきなり試合に出されたんですよ。何でもありじゃないですか?ルールの中でヤンチャができるみたいな。走ってきた相手を吹っ飛ばせるし。こんないいスポーツあったんだって思いました。その1試合目ですごいタックルがしたらしく、相手も僕も脳震とうを起こしちゃって、こんな楽しいスポーツあるんだって感じました。「あんなタックルできるやつはあんまりいないから、お前ずっとラグビーやれ」ってその時コーチに言われました。それが東芝府中のグラウンドで、杉並ラグビースクール対練馬ラグビースクールだったかな?いつも府中に行っていました。あの時はまだ砂でしたけどね。

親に怒られた記憶はあまりないですね。両親とも優しいです。親父はずっと働いていたというのもあって、お母さんには「あんた何してんの!」って怒鳴られたことは少し覚えています。なんで怒られたかは分からないですけど。親父は本当に静かな人で、兄貴や僕の激しさはお母さんから引き継いでいるのかもしれないですね。お母さんはママさんバレーもやっていたし、活発でスポーツウーマンです。

兄貴にけっこうやられて今では痛みに強くなったという感じですね。最後は大体いつも僕が泣きじゃくって終わるという感じでやられていましたから。だから僕はいつも眉毛のところを腫らして学校に行っていたんです。「どうしたの?」って言われるんですけど、「冷蔵庫の角にぶつけた」とか「転んだ」とか言っていました。親はたぶん兄貴のことを怒っていたと思いますけど、あんまり止めなかったですね。あんまり覚えていないですけど。兄貴も体はデカくて、ちょっと前までは120kgくらいありましたし、小学校の時もデカかったです。僕も大きい方でしたけど。

兄貴はいまラーメン屋をやっています。店は継いでいないんですけど、ずっと吉祥寺で修行していて、その仲間と長崎で一緒に店をやっています。「将来はその吉祥寺の店の暖簾分けで札幌かどこか地方に店を出したいな」って言っていました。前、スピリッツ・オブ・サンゴリアスでPRした経堂のお店はもうなくなっちゃたんですけど、またこっち(東京)で店を開ける時にはPRさせてもらいます(笑)。

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