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サンゴリアスをもっと楽しむコラム

2008年8月28日

「少年サンゴリアス」 Vol.15 竹本 隼太郎 『正座文化』

少年サンゴリアス 竹本隼太郎写真1

僕は男4人兄弟の2番目で、兄貴が2つ上で、弟が2つ下と5つ下です。上から2歳、2歳、3歳違いです。小っちゃい頃はテレビゲームだったり、家がちょっと広かったので(そんなに言うほどではないですが(笑))、室内ラグビーだったり、2対2でラグビーっぽいことやったりしてました。兄貴と友達が遊びでラグビーをやっていたので、それに加わる形で始めました。

親父が野球をやっていまして、たぶん野球をやらせたかったと思うんですが、小学校の頃には野球のクラブチームがなくて、とりあえずラグビースクールに知り合いがいたみたいで、兄貴と小学校1年生の僕を入れさせたんです。「ちょっと体を動かすようにした方がいいだろう」ということだったんですが、それから僕らも親もラグビーにはまってしまい、他のスポーツを考えることなくラグビーを続けました。適材適所、自分に合っているスポーツだと思いながらやっていました。結局4兄弟、みんなラグビーをやりました。

少年サンゴリアス 竹本隼太郎写真2

「少年・曽我部」を読んで、僕もちょっと似ているところがあるなと思ったんですが、やんちゃだったんですよね、小学校の時。スキンシップも激しいですし、僕は悪いと思ってないんですけれど、体だったり心だったり(笑)相手をちょっと傷つけたりとかしました。体は傷というほど大それたことではないんですが、でも相手は嫌だっただろうなと思います。そのことが小学校高学年ぐらいに分かって、「あーっ、ちょっと、良くないな」と思って、中学校に入ってから変わることができたと思います。その頃の友達には悪いことしたなという気持ちは、曽我部同様、持っています。

小学校4年ぐらいまで大きかったんです。みんな5、6年ぐらいで背が伸びますけれど、僕はその後、発育が遅くて年に1-2cmしか伸びなくて、どんどん抜かれていって真ん中の前ぐらいまで行きました。それまでの力関係は圧倒的に僕が優位だったのに、周りが伸びて、「スキンシップも痛いな」ということに気づかされ、それまでの行動を顧みました。

中1で最後の取っ組み合いの喧嘩をしましたが、それまでちょっかい出す感じで相手が嫌がることをやっていて、とうとう相手が学校帰りにキレて向かって来たんです。そこで負けそうになって仲裁が入ってくれて、助かったという感じでした。「このまま行ったら今のは負けてたな、自分は一番じゃないんだな」ということを知って、それから人への接し方が変わりました。

小学校までは圧倒的だったのに、そこで負けて、今まで我慢して彼はキレなかったけれど、体力差も縮まって、我慢できなくなって爆発したんだなというのが、よく分かりました。そういうことはやっちゃいけないと、そこで思ったんです。それから勉強も頑張って、大きく変わって優等生になりました。

うちの母親はまったく怒らないんですが、父親の方は本当に厳しくて、家に帰るのが嫌になるぐらい厳しかったんです。そういうのがあって、小学校で無意識のうちに人にあたっていたのかもしれません。親父がギラギラしているんですよ。血気盛んなんです、触れてやけどするんじゃないかというくらい。小学校まではもちろん手を挙げられたこともあったので、中学校からは手は出さないということを取り決めたんですが、それでも"正座文化"がありまして、2時間、3時間とか当たり前でした。

縦社会で連帯責任、弟が何かやらかしたら「お前の教育がなってないだろう」ということで、1人じゃないんですね、4倍怒られちゃうんですよ。ふだんは優しかったりするんですけれど、機嫌が悪いと手がつけらない状態で、家の前の道路に正座させられたりもしました。

道路での正座は滅多になかったですけれど、家の中での正座は怒った時は当たり前でした。家の中で怒るレベルを超すと、玄関前でコンクリートの上で正座、それも超すと道路だったり、そういうボーダーがありました。母は止めても無駄だし、逆に火に油を注ぐことになるので、止めませんでしたけれど、本当は心配でしょうがなかったみたいです。道路の正座は、たぶん家の陰から見ていたと思います。

"正座文化"は高校までは長崎にずっといたので、そこまで続いていました。正座は例えば"明日の準備をしてなかった"という時にやらされました。ランドセルの筆箱の中に鉛筆がちゃんと3本以上入ってなかったりとか、消しゴムや赤ペンがなかったり、鉛筆をちゃんと研いでなかったりとか、夜中に帰って来てチェックするんです。僕らが寝てる間に見られて、誰かがやってないと、夜中の2時、3時とかに起こされて、正座させられました。唯一良かったのは正座して姿勢が良くなったことです。

ふだんは優しくて、ハグしたりしてスキンシップするんですが、そういうふだんとのギャップが激しくて恐かったですね。本当に怒ったら手がつけられなかったんです。そんな状況の中、母も怒っていたらグレていたかもしれません。母はそんなことなかったので、グレずにすみました。

今の僕にとっては、その頃の父は反面教師的な存在です。今もまだ親父はパワフルです。「ゴルフのコンペの幹事をやることになったので行けなくなった」と言っていながら、試合を見に来ていたりします。兄弟は上から名前が真之輔、隼太郎、政次郎、竜太郎です。みんなラグビーをやって、兄貴は長崎大学医学部第2内科、僕は慶応、弟は今、2人とも大学生で上智と慶応でラグビーをやっています。

少年サンゴリアス 竹本隼太郎写真3

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