CLUB HOUSE

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サンゴリアスをもっと楽しむコラム

2008年4月30日

「少年サンゴリアス」 Vol.10 田原 太一
『摘んだお茶の上に乗っかって』

少年サンゴリアス 田原太一写真1

子供の頃は休みがなかった。実家が農家なので、休みの日は毎回手伝いに行かされていて、どこか遊びに行きたくても友達とかと遊ぶこともなく、朝から晩まで畑で手伝いしかしていなかったです。

お茶の農家なので、畑に薬を撒いたり、肥料をあげたり、お茶を摘んだり、お茶を守るものを被せたりとか、兄弟3人いて僕がいちばん下だったんですが、中学に入るまでは小学生の間、ずっと手伝っていました。

中学になると部活が始まるので、それでも部活がなければ、基本的には畑仕事でした。小学校2年からやっていましたが、僕がいちばん下なので、休みの日には親は僕を背負ったまま畑に行ったりとかしてるので、気がつけば畑にいたという感じです。

畑は結構大きくて、グラウンド1面ぐらいの畑とかもありました。車で行って、昼に1回家へ帰って来て昼飯を食べて、また出掛けて行って、夜まで働きました。草をむしって穴を掘っていたら、小さな蛇が出て来たので、その蛇を殺そうとしたら、見つかって親に怒られたこともありました。畑仕事が嫌で、車の中に閉じこもったりしたりもしました(笑)。

僕の小学校は、30人クラスで30人中28人ぐらいが、お茶の農家の子供でした。だから周りがみんなお茶農家の子だったので、小学校も給食にお茶が出るくらい、みんなで「お茶、お茶」という感じでした。指宿の頴娃(えい)という鹿児島でいちばんお茶を作っているところです。今は指宿じゃなくて、南九州市という市に合併されました。小さな頃からお茶は普通に飲んでいました。

実家の農家はまだ親がやっていますが、お兄ちゃんがたぶん継ぐんだと思います。去年、東野さん(憲照)と2人で鹿児島に帰ったんですけれど、東野さんと「遊べたら遊ぼう」という話をしていて、帰った4日間中3日間、家の手伝いを2人でやらされて(笑)、東野さんに「もう、お前と帰らない」と言われました(笑)。

その時の手伝いは、お茶を守るための扇風機が電信柱の上にあって、扇風機で風を送って霜から守るんですけれど、1個60kgから最高100kgあるんですが、父が電機の免許を持っていて、それを修理するための取り外しだったり、そのためにロープで上から吊るしたりする手伝いでした。

子供の頃の手伝いで楽しかったことは、摘んだお茶の上に乗っかって、町の中を走る時でした。帰る時ですね。お茶の上に乗っかって、工場まで行くんですよ。その時が「今日も終わった」という満足感があって(笑)、お茶の臭いが凄くするんです。積んだお茶を見張る係として乗れる時だけが、幸せでした。

少年サンゴリアス 田原太一写真2 少年サンゴリアス 田原太一写真3

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