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サンゴリアスをもっと楽しむコラム

2007年10月 9日

YELLOW FLAG TALK 第4回「佐々木 隆道×山田 幸代(ラクロス日本代表)」その1

イエローフラッグのトークスペシャル第4回は、ラクロス女子日本代表の山田幸代選手をゲストに、サンゴリアスの佐々木隆道選手が対談を行いました。テーマは「スポーツ選手の道を選ぶ」。それぞれ選んだ競技で日本代表の2人は、どうやってその道を選んだのでしょうか?2人の対談は尽きることなく、ロングインタビューとなりました。
 
◆チームでやるスポーツをしてみたい
 
—— 今年の夏、ザ・ビーチ2007というイベントで佐々木選手と山田選手はチームメイトでしたが、前からお2人はお知り合いだったそうですね?
 
佐々木:サンゴリアスのメンバーと山田選手が知り合いで、知り合いになってから何度か飯とかも行ったりして、今に至ります。
 
—— 山田選手は9月からセミプロとしてやっているようですが、そういうラクロス選手は日本では初めてですか?
 
山田:そうですね、初めてですね。
 
—— セミプロじゃない時期はどのようにラクロスをしていたんですか?
 
山田:ラクロスは文武両道で会社がチームを持ってるわけではなく、平日は昼間に仕事をして、夜にトレーニングして、土日に練習するような感じでした。
 
—— 平日の夜のトレーニングはどういうことをするんですか?
 
山田:ウエイトトレーニングが中心ですね。たまにナイターで練習のできるグラウンドを取ってやっていました。だいたい台東区の東大島にあるグラウンドですね。そこで練習をするんですが、なかなか人も集まらないので、男子の練習に交じってやっていたりしました。
 
—— ラクロスの人口は日本ではどれくらいなんですか?
 
山田:日本ではだいたい2万人ぐらいです。ラクロスは大学から始める人が多く、子供達がラクロスをやる機会がほとんどないので、その辺の普及をしたくていろいろ回っているうちにギャラリー2という会社からセミプロの契約のお話を頂きました。
 
—— ラクロスを始めて何年くらい経ちますか?
 
山田:7年目です。大学から始めました。京都産業大学です。
 
—— 京都産業大学はラクロスの名門なんですか?
 
山田:そんなことはありません。弱小チームでした。大学1年の10月までは中学校からやっていたバスケットボールをしていました。
 
—— どうしてラクロスに転向したんですか?
 
山田:私は高校でバスケットを辞めようと思っていました。全国大会(ウインターカップ)に出場して目標は達成しました。大学を決める際にいくつか推薦のお話を頂いていたんですが、それを断ってバスケ部のない大学を選びました。バスケを辞めた理由としては、自分でチャレンジする目標を定めるのが難しかったというのがありました。滋賀県では3年間ずっと県1位をとっていましたが、全国に出たら上には上がいて、自分の目標は県でいちばんになって、全国で2回戦まで行くということにしました。そして、それを達成した時に、次の目標を立てることができませんでした。
 
私個人としては背も高くなかったですし、運動神経が良いわけでもないんですが、チームプレーとしてやっていく中で、今のチームにどこが足りないのか、チームとして何をしなければならないのかを瞬時に判断する力が優れていたのではないかと思います。どちらかというと目立つプレーヤーではなかったですね。視野を広くもって次の次を予測したりしていましたね。
 
—— そういう力はどこで身につけたのでしょうか?
 
山田:高校時代のバスケ部だったと思います。小さい時からいろんなスポーツをしていました。小学校の頃は女の子なのに野球をしたりしました。野球といってもちゃんとチームに入っていたわけではなく、キャッチボールをしたりする程度でしたけど、父親が野球が好きだったというのもあったと思います。それから水泳をやって、卓球をやって、剣道をやって、バドミントンもやりました。
 
でも考えてみると個人スポーツばっかりやっていて、中学校でバスケットを見て、チームでやるスポーツをしてみたいなと思いました。中学校のバスケ部はすごく弱かったんですが、楽しい楽しいと思って3年間続けました。たまたま高校の先生に見てもらえる機会があって推薦で高校に入らせてもらって、高校では強いところに入りました。高校で強い部に入ったことで、周りを見たり、先を読んだりする力がついたと思います。
 

◆自分で決めずに人に着いて行く
 
—— たくさんのスポーツの経験があり、運動神経は良くないとご自身で言っていますが、スポーツは好きですか?
 
山田:スポーツは大好きですね。私は好きなことを好きってしっかり言えるタイプだと思います。これが好きだから、これでいちばんになりたい、と思って頑張ります。
 
佐々木:日本人には少ないタイプですよね。山田選手は根性があるんですよ。ザ・ビーチでの動きを見てても分りました。負けたくない気持ちが表れていて、女の子が見てカッコいい(笑)と思う感じだと思います。
 
—— 女の子からファンレターなどをもらいますか?
 
山田:女の子ばっかりですね(笑)。
 
—— 佐々木選手も野球をやっていたんですよね?
 
佐々木:小学校3年から初めて6年生の途中で辞めました。始めた時の理由は友達がみんな野球チームに入ってしまって、週末に遊ぶ友達がいなくってしまって暇になっちゃって、「俺もやるか」ってことで入りました。あまりやる気はなかったんですけど、親が教育熱心だったというのもあって、勉強もしっかりやっていて、6年生の時に受験に備えて辞めました。
 
—— その時はラグビースクールなどには行っていなかったんですか?
 
佐々木:ラグビーという存在を知りませんでした。見たこともありませんでしたね。どちらかといえば、スポーツとは友達と遊ぶことでした。受験する割には毎日遊んでましたね。もちろんそんなんですからいい結果は生まれませんでした。
 
—— 公立の中学校に進んで、野球部には入らなかったんですか?
 
佐々木:坊主が嫌だったんです(笑)。友だちもみんな坊主が嫌で、「どうしようか」って話していた時に、みんなサッカー部に入りたいって言ってたんですけど、サッカー部の募集がなくて、僕も流れでバスケ部に入りました。しかしバスケ部の練習に行くと、1年生はボールにも触れないし、横で声出しているだけで、みんなで走る時だけ走るっていう部活だったんで、つまらなくて、「やってられるか~」って言って辞めました。辞めた本当の理由も友達がサッカー部に行くって言ったからで、いつも自分で決めずに人に着いて行く、現代の若者代表ですね(笑)。
 
サッカー部に入っても、僕はあまり繊細なスポーツはできないんで、基礎練習のつまらなさに耐えれなくなって、真剣に取り組めなくなりました。夏ぐらいにラグビー部に入っていた友達に「お前ラグビーでもせぇや」と言われ、「考えとくわ」と答えたら、その友達が顧問の先生に「佐々木がやるって言ってました」と言ってしまったんです。ラグビー部の顧問の先生はめっちゃ怖い先生で、「お前ちょっと来い」と言われて職員室に行ったら紙を一枚渡されて、その紙を見たら“退部届”って書いてあって、その先生が“サッカー”と書いて横にいた先生に渡しました。次に入部届けを渡されて、「書け」って言われて、断ることもできず、自分の意思もなく、言われるままに書きました。
 
—— ラグビー部の部員が足りなかったりしたんですか?
 
佐々木:別にそういう状態でもありませんでした。多くはなかったですが、試合をする人数はしっかり揃ってました。僕は体が大きかったので、やらせてみようという感じだったんじゃないでしょうか。すぐに試合に出させてもらったんですが、教わったことは「ゴール前でパスを放ったらあかん」というのと「ボールを持ったら向こうの陣地までボールを運べ」ということだけでした。何にもルールが分からないまま出ましたが、コンタクトをした時にすごく面白いと感じたし、ハートが熱くなったし、そういうので辞められなくなった感じですね。手っとり早く結果が出たというのもあると思います。
 
山田:私もそうでした。バスケ部の1年生でいきなり試合に出させてもらった時に、たまたま活躍したり、大学でラクロスを始めたらすぐにU-22代表に選ばれたりしました。それでどんどんハマっていってしまいました。
 
佐々木:それでも何回も辞めたいと思ったこともありました。練習はきついし、痛いし。合宿前に部員みんなで逃げようなんて話したこともありました。それでも辞めなかったのはチームスポーツだったからだと思います。友達が好きでしたから。
 
—— ラグビーを始めた時、サッカーや野球に比べてかなり手応えがあったんですか?
 
佐々木:そんなことはありませんでした。ただ、野球でホームランを打った時よりも、1トライとった時の方が100倍くらい嬉しかったんです。なぜだかは分からないんですが、無性に嬉しかったんです。1つのトライを取るのに何人もの選手が関わっているじゃないですか。野球はチームスポーツですが、ピッチャーが投げて打ったら終わりじゃないですか。僕の感覚ではその差だと思います。いつもやりあってる仲間でとったトライというのが嬉しかったんです。
 
—— さみしがり屋なんですか?
 
佐々木:そうですね、一人が嫌なんですよ。
 
山田:でも集団行動は苦手って言ってたよね?
 
佐々木:おかしいな(笑)。プライベートは自分の時間であってほしいんですけど、自分が寂しかったら誰かにいて欲しいんですよ。わがままですね。
 
(続く)
 
◆山田 幸代 やまだ さちよ
1982年8月18日滋賀県近江八幡市生まれ
長浜北星高校~京都産業大学~サムライラクロス
[ラクロス歴] ’01関西選抜、’02U-21日本代表、’05女子全日本代表、’05世界大会5位

 

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