SUNTORY CHALLENGED SPORTS PROJECT

vol.22「障がいがあったからこそ、私はスキーで人生を謳歌できている」 パラアルペンスキー 本堂杏実選手

vol.22「障がいがあったからこそ、私はスキーで人生を謳歌できている」 パラアルペンスキー 本堂杏実選手

「チャレンジド・スポーツ プロジェクト」を掲げ、多様なパラスポーツとパラアスリート支援に力を注ぐ「サントリー」と、集英社のパラスポーツ応援メディア「パラスポ+!」。両者がタッグを組み、今最も注目すべきパラアスリートやパラスポーツに関わる仕事に情熱的に携わる人々にフォーカスする連載「OUR PASSION」。2021年夏によってもたらされたムーブメントを絶やさず、さらに発展させるべく、3年めの物語が今始まる!

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来たる2022年3月、世界最高峰の大会での活躍が期待されているパラアルペンスキーの本堂杏実選手。元々ラグビーの実力者として日本体育大学に入学しながら突如スキーに転向して日本代表選手となった異色のアスリートは、昨冬に経験した選手生命を左右する大怪我さえも持ち前の明るさで成長に糧に変えてしまうスーパーポジティブガールだ。現在、3月の大舞台の出場権獲得をめざしてオーストリアで強化合宿中の本堂選手にオンライン取材で話をうかがった。彼女の逆境に負けない強さの秘密に迫る。

―11月以降、スイス、そして現在滞在されているオーストリアとずっと海外での合宿が続いていますが、ヨーロッパ中がコロナの影響で再び制約が増えている中、食事面などコンディショニングで苦労することも多いのではないですか?

毎朝6時に宿を出て、午前中は山で滑って午後は陸上トレーニング、その後はスキーのチューンナップ。そうこうしているうちにもう夜、といった具合に一日があっという間に終わるのでそれほど制約によるストレスを感じることなく過ごすことはできています。食事に関してもアパートメントでコーディネーターの方が日本食を作ってくださっているのでとてもありがたいです。最近は餃子がすごく美味しかったです!

―オフの時間はどう過ごしていますか?

スーパーが開いているのでたまにこっちの美味しいチョコレートを買って食べたり、部屋で映画を見たりといった感じですね。行きたかったショッピングモールがロックダウンでクローズになってしまっているところだけは残念だなあと。

―本堂選手は昨冬に負った前十字靭帯断裂という全治7ヶ月の大怪我から復帰されたばかり。そんな中で臨んでいる今回の合宿では、どんなテーマをもってトレーニングに取り組まれているのでしょうか?

怪我の影響には少し不安もありましたが、痛みもゼロではない中で思っていた以上に滑れている実感があります。遠征に出たばかりの頃は調整で2〜3本滑る程度だったのがスイスからオーストリアに移動してきてからは毎日10本以上滑っています。とはいえ私は怪我のブランクがあった分、他の選手よりも練習量を積んでいかないと北京に間に合わなくなってしまうので、基本的なトレーニングからウエイトトレーニングまで幅広く時間をかけてトレーニングさせてもらっています。3月の大会で代表になるためにはここからワールドカップでしっかりポイントを取っていかなければいけませんし、さらにギアを上げていく必要がありますが、やるべきことをしっかりやっていれば結果はおのずとついてくると信じて目の前のトレーニングひとつひとつと向き合っています。

―次に日本に戻られるのは3月の本大会直前とお聞きしました。

そうですね。出場権が得られれば、本番の前に一度帰国して長野で一週間ほど日本代表の直前合宿に参加する予定です。そこから3日間だけ実家に帰って、現地に向けて出発という流れです。そう考えるとここからまだまだヨーロッパでの闘いは長いですね。私、誕生日が1月2日なんですけれど、今回ばかりは人生で初めてその日を家族以外の人と過ごすことになりそうです。

―そういう意味でも今回のヨーロッパ長期滞在は後々振り返ってもかなりタフな経験になるのではないでしょうか。

この合宿だけでなく、怪我も含めて2021年というのは私の中で怒涛のように過ぎていますね。いつ前十字靭帯が再断裂するかわからないような膝で、恐怖と闘いながらも全力を尽くしてトレーニングを積む中で自分自身の成長をすごく感じています。またコロナ禍によってたくさんの方々が海外に行けなくなっている中で、こうして海外遠征に連れて来ていただいていることにも感謝の気持ちでいっぱいです。本当に自分は恵まれた環境でスキーをやらせてもらえているのだなと。その点で意識が変わった年でもあるのかなと感じていますし、周囲への感謝を最大限に力に変えて結果に繋げていきたいです。

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―ここからは、あらためて本堂選手のプロフィールについてもおうかがいしていきます。本堂さんはパラアルペンスキー選手としての挑戦を本格的に始める前にはラグビーの有力選手だったそうですが、なぜスキーという競技で世界をめざそうと?

日体大に入学した後、2年生の頃に大学の関係者の方から「パラ競技での世界大会に興味がないか」と声をかけていただいたのがきっかけです。最初は陸上を勧められたのですが、自分の中では中学生の頃に陸上部に所属していてそこで完全燃焼していた感じがあったので(笑)、自然と次に提案いただいたアルペンスキーになったという流れですね。日体大にはラグビーで上をめざしたくて入ったので、もちろん最初は葛藤がありました。でも、初めて参加させていただいたパラスキー日本代表合宿で出会った車いすや義足の選手たちの滑りに感銘を受けて「私もこの世界で闘っていきたい!世界一になりたい!」って思ったんです。そこがスキーヤーとしての私のスタート地点になりました。

昔から健常者と一緒に陸上やラグビーを本格的にされていたということですが、「先天性全左手指欠損」という持って生まれたご自身の障がいに対してはどのように捉えていたのでしょうか。

当たり前のようにラグビーをやっていましたし、それこそ他にも器械体操やボクシング、空手など手を使う競技ばかりをやってきた中で私自身ハンデというものを感じたことがこれまで一度もなくて。「ただ手がないだけで普通にみんなと変わらない」と思って生きてきましたので美談のような話が全然ないんですよ(笑)

―むしろパラスポーツの世界に入ってみて新たな気づきがあった?

まさにそうですね。スキーを通していろいろな障がいを持っている選手たちに会って、誰よりも私自身がたくさん学びを得ています。それこそ私は日本代表の合宿で村岡桃佳選手(※2018年の平昌パラリンピックで金メダルを含む5個のメダルを獲得)と同じ部屋になることが多いのですが、初めて同部屋で過ごすことになった際、車いすの彼女に対して「何かあったら手伝うよ」と言ったら、「なんでもできるから大丈夫だよ」と。そのときに自分自身が車いすの人に対していろいろと勝手に決めつけてしまっていたんだなと気がついたんです。それから1週間後にはもう、お互い気を使うことなくいじり合えるような関係になりましたね(笑)

―2018年、そんな村岡選手とともに本堂選手も日本代表として大会に出場されました。アルペンスキーの世界に入って1年半でたどりついた大舞台はどんな印象でしたか?

出場が決まるまでが怒涛のような日々だったこともあって実感がまったくないまま本番が終わったという感じでしたね。それでも最終日に回転種目で8位に入賞することができて、賞状をもらえたときに「ああ、私は夢の舞台に出たんだ」と思えました。まだ内定をもらっていない中ではありますが、もし3月の大会に出られれば、次こそはこの大きな舞台の醍醐味のようなものをきちんと噛み締められるようなパフォーマンスを見せたいなと思っています。

―昨冬に怪我をされた後、ここまでリハビリ期間が相当長かったと思いますが、心が折れそうになったことはないですか?

それが私はどこかネジがぶっ飛んでいるのか(笑)、「頑張ればむしろ前よりも強い靭帯を手に入れて成長できる」なんて思いながらリハビリとトレーニングに励んでいました。むしろ怪我をしていなかったらここまでトレーニングすることはなかったんじゃないか、くらいの練習量をこなしたことで上半身がめちゃくちゃ鍛えられました。もちろん怪我したときというのは辛かったですが、今ではそれ以上に得るものが大きかったですし、私の人生において必要な出来事だったんだとさえ思っています。

―その持ち前のポジティブさが、本堂選手の滑りのどのようなところに生かされていると思いますか?

スピードに対する恐怖心の無さ、でしょうか。とくにダウンヒル(滑降)などの高速系種目はスピードが勝負なのでそれが強みになってくれると思います。 それこそ膝の大怪我も高速系のスキーをはいているときにやってしまったのですが、手術が終わって全身麻酔が覚め、意識が朦朧としている中でも私は「今からダウンヒルスタートできるわ」とボソボソ言っていたらしいです。

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―あらためて振り返って、前大会の後、こうして大怪我を克服して2022年をめざしている期間というものを今後の人生にどう生かしていきたいですか?

前の大会が終わった瞬間に見据えた4年後の自分と、今の現実的な技術レベルでは正直かけ離れているところもあります。そういう意味では、もともと簡単にメダルを狙えるレベルに成長できると思っていたわけではないんですけど、怪我があったとはいえ少し自分の中で甘えていた部分もあったのかなと。だから「そんな簡単な世界ではないぞ」という反省を、この3月だけでなく、さらに4年後の大会に向けても繋げていかなきゃいけないなと思っています。もっともっとやれると、自分の伸びしろを信じて行けるところまで行ききりたいです。

―2026年までがスキーヤーとして明確に見えているビジョンという感じでしょうか。

はい、2026年に金メダルが取りたいなと思っています。選手としては、その4年後までもちろん頑張りたいと思っていますが、まずはこの3月でしっかりと怪我からの復活をアピールして、その先で本格的にメダルを狙っていきたいですね。

―さきほど障がいをハンデと感じたことはないとおっしゃいましたが、逆に障がいがあることでご自身の人生にもたらされたことはあると思いますか?

普段、当たり前のように生活しながらふと自分の手を眺めるときがあって、そんなときに「私は手がないからこうして人生を謳歌できているんだな」と感じるんです。手があったらラグビーも中学や高校で辞めていたかもしれませんし、もしかしたら何の取り柄もないまま生きていたかもしれません。何より手がなかったからこそ両親も強く育てようと私にいろんな挑戦をさせてくれて、それによって負けず嫌いな人間になれたのだと思います。

―「人生を謳歌する」。まさに障がいだけでなく大きな怪我も克服してポジティブにアスリート人生を歩む本堂選手にぴったりな言葉ですね。ヘアスタイルなども含めて、本堂選手の「今を楽しもう」とする姿勢にはすごく元気をもらえます。

もともと天邪鬼で周りに合わせるのが苦手なことも影響していますが(笑)、スキーを頑張ることも髪の色を金色や紫にすることも私にとっては何かをやりたいと思う気持ちに全力で従っていること。自分に嘘をつきたくないので、一度こうだと決めたことは絶対に貫き通したい。だからアルペンスキーで絶対に最高の金メダルを取りたいんです!

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PROFILE

ほんどう あんみ●1997年1月2日生まれ、埼玉県出身。「先天性全左手指欠損」の障がいがありながら、5歳の頃に父親の影響で始めたラグビーで18歳以下の日本選抜に選出されるほどの実力者に。日本体育大学2年時にパラアルペンスキーに転向。2017年ジャパンパラ競技大会の大回転で優勝し、2018年の平昌冬季パラリンピックでは回転で8位に入賞。現在は株式会社コーセー所属のパラアスリートとして、日本体育大学大学院に通いながら2022年3月の大会出場をめざす。

Composition&Text:Kai Tokuhara

PASSION FOR CHALLENGE
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