バーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえる

トラフィック・レボリューション

ここまで州の成立順に述べてきたが、前回エッセイでウエスタン・サルーンに影響を与えた都市としてあげたニューオーリンズ、シカゴ、セントルイスは、急速に国内産業が活発化していくなかで誕生した州に位置している。

ページ上部のイラストをよくご覧になっていただきたい。色分けされている右側部分が、1821年のアメリカ合衆国全24州である。  

 

こうした状況下で、経済成長と連動するのが交通運輸である。当時、道路網は整備されていなかった。頼ったのは河川。大きな物資は舟や筏(いかだ)で運んだ。河港からの陸路は人力、牛馬の家畜力である。

とはいっても当時の大動脈となる河川は限られており、その流域周辺から開拓していくしかなかった。ひとつは北東部、オンタリオ湖からカナダのオンタリオ州とアメリカのニューヨーク州を隔てて流れ、大西洋に注ぎ出るセントローレンス川。そしてオハイオ川とミシシッピ川である。

ところで、川は下るのはいいが遡るのは大変である。連載26回『ナッチェス・トレース』を参照いただきたい。バーボンウイスキーはバーボン郡のオハイオ川の河港から積み出され、ミシシッピ川を下りニューオーリンズまで輸送された。その帰りには、舟や筏の材木を売ったり、バーボン取引で得たお金をまわしたりして、ニューオーリンズで馬を買う。そしてナッチェス街道を馬に跨がって何日もかけてケンタッキーへと戻ったのである。街道といっても道程の多くは古くから先住民族たちが使用していた獣(けもの)道よりもまし、といった程度の山あり谷ありの悪路で、馬車での移動は無理というもの。

ニューオーリンズにはスペイン領時代からスペイン人をはじめとした商人によってサラブレッドが運び込まれていた。これがバーボンのおかげでブルーグラスの地に集まったのだ。こうしてケンタッキーは名馬の産地となり、いまでもケンタッキー・ダービーは世界が注目する競走馬の祭典なのである。

さて、このままの輸送状況では経済発展は見込めない。そして1815年以降に交通革命が起こる。新たな輸送手段を開発した者たちが莫大な富を得ることにもなった。

まず蒸気船が輸送の新しい時代を生んだ。1807年、ロバート・フルトン(1765—1815)がニューヨークのハドソン川で、外輪を備えた蒸気機関による船(外輪船)の試運転に成功していた。この蒸気船が大活躍となるのは1817年から工事が開始されたハドソン川からエリー湖までを結ぶエリー運河が、1825年に完成してからになる。ついには五大湖、オハイオ川とも結ばれることにもなりミシシッピ川に通じて、大動脈が生まれたのだった。

陸路は各州の認可を受けた建設会社が舗装された有料道路をつくりはじめる。1830年には数千マイルにおよぶ舗装道路網が誕生していたらしい。

そしてついには鉄道の時代を迎えるのであるが、アメリカという国はほんの短期間で爆発的な発展を遂げたことがよく理解できる。

アメリカが飛躍へ踏み出しはじめた1815年、ヨーロッパではナポレオン・ボナパルトが激しい突っ張りを見せた。ところが足さばきが悪く、はたき込みであっけなく半年で土をつけられた。2月にエルバ島を脱出してパリに進軍。6月にはワーテルローの戦いで敗退。8月にセントヘレナ島に流刑となっている。

日本は江戸幕府11代、大奥に入り浸りのオットセイ将軍と呼ばれた徳川家斉の時代(文化12年)だった。杉田玄白が『蘭学事始』を著した年である。

(第56回了)

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