バーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえる

ハワイアン・ウォーターマン

1911年、21歳の時にハワイ初の水泳大会がホノルル・ハーバーで開催され、自由形部門で3つの世界記録を樹立する。当時は海で開催された。実際、オリンピックにおいても第8回パリ大会からプールを使用した。それまでは海や川が会場で、第7回のアントワープ大会は運河で競技がおこなわれている。

カハナモクは翌12年にストックホルム大会に出場して勝者となるのだが、彼がより称えられるのは水泳競技引退後の活動である。1968年に世を去るまで、名門クラブ「フィ・ナル」を通して海洋文化の素晴らしさを伝えつづけた。彼が立ち上げたこのクラブは“スター・ナヴィゲーション”と呼ばれる気流や海流、天体を頼りに航海するポリネシア伝統航海術の探求、発展に貢献する。

彼はまた保安官でありハワイ親善大使でもあった。さらにはアメリカ、オーストラリアにサーフィンを普及。世界的なプロスポーツとなるまでに発展させた大功労者であり、近代サーフィンの父として名高い。


カハナモクは1930年代からさまざまなサーフボードを生み出しているが、面白いことに自身はパパ・ヌイ(大きな板)と呼ばれるハワイアン・コア材でつくった巨大ロングボードを愛したという。4.8メートルもの長さ、重さはなんと52キログラム。これでは波の上で決して軽快なターン、トリッキーな技などできるはずがない。しかしながら彼はこのボードで12メートルもの高波を乗りこなし、ある時は2キロメートルも波の上を滑りつづけたという。

彼は7歳にしてすでにマスター・サーファーと呼ばれ、大人になっても昔ながらのこの伝統的ハワイアン・サーフィンを愛しつづけた。

というのも、ポリネシア文化が布教の妨げとなると考えたキリスト教宣教師によって、サーフィンは悦楽的であるという理由で長い間禁止されていた。ただし王家の血縁のみが許可され、カハナモク家はカメハメハ王朝最後のビショップ王女と血縁関係にあったため、彼は古代ポリネシアを発祥とするサーフィンの限られた伝承者的存在だったのだ。

ハリウッド映画にも数多く出演している。そしてアロハシャツを革新させた。暑さゆえに多くの人がシャツの裾をパンツの外に出して着ていた。その姿がイケテナイと感じた彼は、シャツの裾を直線にカットにしたのだった。

1953年の映画『地上より永遠に』では、俳優陣はカハナモクがプロモートしたアロハシャツを着て演じた。そこからハワイアン・ファッションが広く世界に知られ、人気を集めるようになったといわれている。

ワイキキ・ビーチの西端にデューク・カハナモク・ビーチがある。カハナモクの生家が近くにあったことから名づけられたものだが、2014年には全米ベストビーチNo.1に選ばれた。

ハワイの英雄の遺産は、こうして21世紀のいまも輝きつづけている。

では、潮の香が口中に満ちてきた。クラフトバーボンの創始者ブッカー・ノーの傑作、強くコクのある「ブッカーズ」を舌に浸潤させよう。

(第44回了)

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