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ピューリッツァー・プライズ

クラフトバーボン「ノブ クリーク」のラベルデザインは新聞紙面の活字をモチーフにしたものだ。これはアメリカの禁酒法時代(1920−1933)、取締官の目を盗むために人々が酒のボトルを新聞紙にくるんで持ち歩いたことにちなむ。

ビーム家6代目ブッカー・ノーが禁酒法以前の力強いバーボンの姿の復刻を目指して1992年につくりあげたものだが、ラベルデザインにはバーボンをつくりたくてもつくれなかった苦悩の時代を忘れてはならない、といったメッセージが込められているような気がしてならない。

今回はアメリカ20世紀初頭のジャーナリズムを見つめてみよう。リッチなコクと深遠な力強さを持った「ノブ クリーク」のボトルを眺めながらグラスを傾けていただきたい。


ピューリッツァー賞。アメリカ国内の通信社や新聞社といった報道機関を対象にしたジャーナリズム部門をはじめ文学、音楽の部門で最も権威ある賞として知られ、長年にわたり世界的な注目を浴びつづけてきた。

主催しているのはコロンビア大学で、1917年に賞が創設されているから100年もの歴史を刻んでいることになる。

この賞は新聞社経営者でジャーナリストだったジョーゼフ・ピューリッツァー(1847−1911)の遺志に基づいて生まれたものだ。

ジョーゼフはハンガリーのユダヤ系の家庭に生まれた。1864年にアメリカへ移住すると、いきなり南北戦争の北軍兵士として従軍する。その後コロンビア大学に学び、つづいてミズリー州セントルイスにあるドイツ語の日刊新聞社で働き、ジャーナリストの第一歩を踏み出している。

かなりの野心家であったのだろう。1869年に共和党員としてミズリー州議会議員に選出されているが、新聞報道への情熱に燃えていた。最初に勤めた日刊新聞社を1872年に買い取ると、6年後にはセントルイスのもう一紙も買収し、二紙を合併させる。そして1883年にはニューヨーク・ワールド紙を手に入れるまでになった。

しかしながらここから発行部数伸張を狙う紙面づくりの世界、イエロー・ジャーナリズムに身を置くことになる。ジョーゼフのライバルに名乗りを上げたのはウィリアム・ランドルフ・ハースト(1863−1963)。現在につづくメディア・コングリマリット、ハースト・コーポレーションの創業者である。

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