バーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえる

クール 文・達磨信

バードことチャーリー・パーカーの口グセは「クール」だった。ステージでの調子がいいと「クールだよ」と言ってご機嫌になった。彼にとってこの言葉はすべての素晴らしいもの、最高の状態を意味した。

ブッカーズと並ぶスーパープレミアムバーボンウイスキーにノブ クリークがある。ノブ クリークは9年熟成という長期熟成した原酒のなかから、豊かな香味を抱いた樽だけを厳選してヴァッティングしたものだ。アルコール度数は50%と高いが、味わいにはそれを感じさせない見事なまでのバランスのよさがある。ナッツ様に力強いバニラの甘みが特長的でとにかくリッチなテイストだ。

まさにクール。バードに関してのエッセイの最後はこのクールなバーボンを味わいながらお読みいただきたい。


バードはサックス奏者だけでなく、さまざまな楽器の領域に影響を与えた。そのひとりにマイルス・デイビスがいる。ハイスクール時代、楽譜の読めなかった彼は、ディジー・ガレスピーとバードの演奏法を耳で覚えたという。

イリノイ州の歯科医の息子として1926年に生まれたマイルスは大学には進学せず、18歳でジュリアード音楽院に学ぶためにニューヨークへ行く。着くとバードを探した。バードのほうは相変わらずの破滅型の生活をつづけており、そのときもまた無一文であったからマイルスの登場は好都合だった。そのまま金持ち息子のアパートへ転がり込む。

バードはアップタウンのミントンズ・プレイハウスやアップタウン・ハウスにマイルスをしばしば誘った。「心配するな。やればいいんだ」。バードはマイルスにこう言い聞かせつづける。マイルスはいつもマッチ・カバーの裏側に耳にしたコードを書きつけるのだった。

ピアニストのセロニアス・スフィア・モンクもガレスピーもマイルスにアドバイスし、幸せ過ぎる環境が彼をジュリアード音楽院退学へと向かわせた。

バードは一流プレーヤーにも援助を怠らなかった。そのひとりに、兄弟のようだったともいわれるベーシストのチャーリー・ミンガスがいる。彼はルイ・アームストロングやライオネル・ハンプトンといった名バンドを経た多彩なキャリアがあった。ところが1952年頃、金に困り、郵便局員として働きはじめる。バードが見かねてミンガスに電話をかけ、「才能のあるお前が就職するなんて。俺と一緒にやろう。週150ドルでどうだ」と誘った。彼はすぐにOKした。

ステージの合間にバードとミンガスはよく議論した。内容は芸術論から神の存在までにおよび、出番の時間になっても終わりそうもない。するとどちらからともなく「つづきはステージで話そうじゃないか」と言い、バードはサックスで、ミンガスはベースで議論し合った。そんなときの演奏は魂が震えるほどの素晴らしいものだったらしい。

*第20回「クール」は、
 第17回「ビバップ」からの
 つづきです。

for Bourbon Whisky Lovers