地球史の中の日本列島史

崎田 誠志郎(さきた せいしろう)

久留米大学文学部国際文化学科講師
2021年度「若手研究者のためのチャレンジ研究助成」被採択者

地球史の中の日本列島史

崎田 誠志郎
Seishiro Sakita

地球史の中の日本列島史

崎田 誠志郎 Seishiro Sakita

 今回の堂島サロンでは、地質学者の伊藤孝氏をお招きして、「日本列島の歴史を振り返る」という題でご講演をいただいた。冒頭で伊藤氏も述懐された通り、教育における地学の重要性に比して、地学への学生・教育者の関心は一般に高いとは言い難い。理由の一つに、地学では事象のタイムスケールが人間の感覚を遥かに超えて大きくなりがちな点が挙げられる。筆者が専門とする地理学は遡ってもせいぜい1万年程度だが、地学の場合、「地球史の現代」ともいわれる第四紀でさえ、その始まりはおよそ260万年前にまで遡る。一方で、物理的に「そこにあるもの」を扱う点は地学の強みである。私たちは積み重ねられた地層の上に暮らし、金属資源でつくられた道具を使い、日常的に天気予報をチェックする。したがって、日本列島の地学的特色を理解することは、私たちがそこでいかに生きてきたか、いかに生きていくかという問題に直結する。
 伊藤氏は2024年に『日本列島はすごい』(中公新書)を上梓された。ここでの「すごい」とは、日本の例外性・優越性を吹聴するような狭量なものでは当然なく、伊藤氏は一貫して、地球の中の日本列島という視点で語られていたと思う。伊藤氏の著書や講演で出てきた個々の地学的知識には学校で教わるものも多い。氏はこれらをつなぎ合わせてマクロな空間と環境システムの中に位置付け、個々の知識が何を意味しているのかを理解する視点を示された。「ニュージーランドは世界一小さな陸(オーストラリア大陸)の隣にある隔絶された島弧」「イギリスは島ではなく大陸の一部」といった氏の表現も、単なるレトリックではなく、私たちの固定観念を解きほぐし、地学が可能にする世界理解の豊かさを広く伝える力を持っている。

 伊藤氏の講演は、「北半球の中緯度、世界一大きな海の西の果て、世界一大きな陸の東の果てに、付かず離れず寄り添う島弧」としての日本列島の位置付けから始まった。氏の言葉を借りれば、日本列島は平らで比熱が大きい(熱を保ちやすい)巨大な「水たまり」と、凸凹した埃っぽい「壁」との間に挟まれており、そのことが列島の「すごさ」において重要な意味を持つ。たとえば、日本列島では梅雨や台風によって夏季に大量の雨が降るが、日本列島そのものに降雨を誘発するような固有の性質があるわけではない。列島の東に広がる太平洋では、十分に温められた海水が風や海流で西に流され、太平洋西部からインド洋にかけて暖水域を形成する。そこで発生した台風が貿易風や偏西風で流された先に行き着くのが日本列島である。片や列島の西に目を向けると、偏西風の「風上」側に聳え立つチベット高原がジェット気流を南北に二分して、南の湿った風と北の乾燥した風を生みだす。これらが「風下」の日本列島北部で合流してオホーツク海高気圧を形成し、太平洋高気圧との間に梅雨前線を生じさせる。この前線の直下に浮かぶのが日本列島である。こうした地学的な「位置関係」こそが重要なのだと伊藤氏は強調した。
 日本列島は火山列島であり、全国に温泉地があり、かつては黄金の国ジパングとも称された。これらの「すごさ」について、講演では「水」をキーワードとしてその地学的背景が説明された。沈み込む海洋プレートから深さ100 kmあたりで排出された水はマントルと合わさってマグマを生成し、最終的に火山を形成する。伊藤氏はこのプロセスを捉えて、火山のマグマはプレートの水がつくりだすものであり、さらに地表の水と交わることで温泉や金が生まれるのだと述べられた。温泉の多くは雨水が地中に浸透し、マグマの熱によって温められて地表に湧出したものである。金鉱脈は、地中に浸透した水がマグマ溜まりの周辺で岩石と反応することで形成される。つまり、天の水と地の水が温泉と金を生み出しているともいえるわけである。これらはいずれも、日本列島がプレート境界上の島弧であること、太平洋とユーラシア大陸の狭間にあって豊富な降水量を有することが基盤となっている。
 地球儀を回転させて、ユーラシア大陸を地図の下に置くと、その上にある日本列島の「付かず離れず」の配置と、その先に茫漠と広がる太平洋の存在が一層明確になる。大陸との絶妙な距離感が、対馬海流の流入を可能にして日本列島に世界有数の豪雪地帯を形成し、氷期の海水準低下時には人間や動物が列島に渡ることを可能にした。ほかにも、列島の位置に対応した気候や地殻活動は、農業生産の基盤をなし、金属資源を生成し、多様な生物相を構築する。伊藤氏の視野は国際関係史にも及び、日本列島が海盆を隔てて「付かず離れず」の位置にあることで、日本と他国の適度な距離感が保たれてきたのではないかとの見解が示された。余談だが、現存する最古の日本地図とされる『日本図』(仁和寺蔵)は南を上として描かれており、奇しくも今回の講演で示された「大陸からみた日本列島」と視点を同じくする。同時代の『日本図』(称名寺蔵)も同様に南が上で、周囲には海を隔てて大陸の諸外国が描かれている。こうした古地図からも推察されるように、大陸に寄り添うように弧をなす日本列島の位置関係が国際関係を考える上でも重要となることを、伊藤氏は地学的な観点から提示されたといえるだろう。
 伊藤氏は、日本列島のすごさは「凄み」でもあり、列島に暮らす人々はその恩恵と試練の両面に向き合っていかなければならないことを述べられた。氏の著書から引用すれば、すごさの「良いとこ取り」はできないのである。このことは、南海トラフ地震がいつ起きるともしれず、異常気象が日常となりつつある感さえ覚える昨今、それでも私たちが日本列島に暮らしていくうえでの核心的な問いを含んでいる。最後に伊藤氏が示された「ジオ多様性」の概念は、地学的に多様であることがリスク分散となり、地域の独立性を高めることが社会全体の存続に寄与するという視点につながる。そのためにも、地球の中の日本列島を知り、身近な地域を知り、それらの関係性を理解することが重要となる。この視点は、冒頭で触れた地学教育の意義を考える上でも大いに示唆的であろう。

 堂島サロンが人文社会知の集う学際交流の場であるとして、個々の専門がいずれであっても、人間活動の舞台となる日本列島は共通の関心事となる。そのことを示すように、講演後の議論では一つの問いを深めるというより、伊藤氏が示された日本列島の「すごさ」が出席者の専門・関心にもたらす示唆について自由に意見が交わされた。トピックは国際政治を皮切りに、比較文学、資源論、古代史、科学史、教育法など多岐にわたった。一方では日本列島の特色を踏まえた上で21世紀の国家戦略がどう描けるかが問われ、他方では日本列島における旧石器時代の生存戦略を探る。砂金と砂鉄の由来から朝鮮半島との交易の話に移り、列島の国家形成と威信財としての武具へと議論が発展していく。この時の堂島サロンには、学際的な議論の本領が現れていたように思う。
 いくつかの質疑に通底していた論点は、講演で示された日本列島の特色が、そこに暮らす人々によってどう認知されてきたかという問題である。出席者から指摘があったように、Aという環境条件下ではA’という文化・社会が形成されるという単純な論法は、ときに環境決定論的な誤謬に陥る懸念がある。質疑では「環世界」の概念も俎上に載ったが、実際には人々の認知の文法が異なれば、社会における環境の意味合いや影響も異なってくる。シェイクスピアの『あらし』に描かれるtempestと日本列島の嵐は、現象としても認知としても異なるだろうとは、ある出席者による言である。伊藤氏も著書の中で、芭蕉の目を借りて当時の日本列島の景観を読み解き、日本列島の形成史と文化的な認知とをリンクさせている。こうした視点は、ジオ多様性が内包する個々の地学的特徴がローカルな文脈でいかに解釈され、地域の存続発展においてジオ多様性との適応的関係がいかに構築されうるかを考えることにもつながるのではないだろうか。
 議論の終盤では、「日本人は地球儀をあまり作ってこなかった」という切り口から、日本列島で暮らす人々の世界観に話が及んだ。地図はその時代の人々の世界認識を写す。世界一巨大な海と陸に挟まれた日本列島の住民は、世界を球体ではなく平面で描くことを好んだのか?中心を明確にできる平面の地図は、ある種の中華思想的な空間認識を反映していたのか?天球儀が多く作られたのはなぜか?自由闊達にさまざまな発想や視点が提示され、筆者も末席に連なりながら、こうした議論から学問の発展の芽が生じてくるのだろうと考えていた。

崎田 誠志郎(さきた せいしろう)

久留米大学文学部国際文化学科講師
2021年度「若手研究者のためのチャレンジ研究助成」被採択者

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