「新しい地政学」の時代

新しい地政学

著者 北岡 伸一/細谷 雄一編
  田所 昌幸、篠田 英朗
  熊谷 奈緒子、詫摩 佳代
  廣瀬 陽子、遠藤 貢
  池内 恵
 
発行 東洋経済新報社
発行日 2020年3月12日
目次  
序章 古い地政学と新しい地政学(北岡伸一)
<第Ⅰ部 理論的に考える>
第1章 新しい地政学の時代へ(細谷雄一)
第2章 武器としての経済力とその限界(田所昌幸)
第3章 国際紛争の全体図と性格(篠田英朗)
<第Ⅱ部 規範・制度で考える>
第4章 人権の普遍性とその濫用の危険性(熊谷奈緒子)
第5章 国際協力という可能性(詫摩佳代)
<第Ⅲ部 地域で考える>
第6章 プーチンのグランド・ストラテジーと「狭間の政治学」(廣瀬陽子)
第7章 「アフリカの角」と地政学(遠藤貢)
第8章 「非国家主体」の台頭と「地域大国」(池内恵)
終章 中曽根康弘の地政学(北岡伸一)

熊谷 奈緒子(くまがい なおこ)

青山学院大学地球共生社会学部教授
新しい地政学の時代における国際社会を考える研究会メンバー

「新しい地政学」の時代

熊谷 奈緒子
Naoko Kumagai

「新しい地政学」の時代

熊谷 奈緒子 Naoko Kumagai

 「新しい地政学の時代における国際社会を考える」研究会は、代表の北岡伸一先生、幹事の細谷雄一先生の下に、サントリー文化財団の調査研究として、2015年から2018年まで開催された。

 篠田英朗先生、池内恵先生、詫摩佳代先生がメンバーとして、そして田所昌幸先生もサントリー文化財団の理事として参加された。さらに、報告者として、慶應義塾大学教授の廣瀬陽子先生、慶應義塾大学教授の田中浩一郎先生(当時は日本エネルギー経済研究所中東研究センター長)、東京大学教授の遠藤貢先生、東北大学(当時はヘブライ大学)の李承赫先生に参加いただいた。

 光栄なことに私もお声がけをいただき、錚々たる研究者の先生方から、世界各地の地政学の最前線の詳細な情報、知識、情勢分析を、広くかつ深く学んだ。ウラジオストク新潟 での合宿、「コモンズ」 研究会との横須賀での合同合宿、「グローバルな文脈での日本」 の研究会への参加の機会にも恵まれた。研究会は緊張の連続であったが、それぞれの分野における第一線の研究者であると同時に、ルネサンス的教養人でもある先生方との研究会や懇親会での会話からは、大局的視野と人間への洞察をも学際的に学ぶことができた。

 ウラジオストクの合宿は、特に印象深かった。間近に見たシベリア鉄道からは、ロシア帝国やソ連の激動の政変、そして戦前の日本の大陸外交の勃興と凋落に翻弄された人々が彷彿された。革命ですべてを失ったロシアの貴族、ソ連の政治犯、シベリア抑留の日本兵などに想いを馳せた。北朝鮮の女性給仕がいるレストランでは、写真禁止で薄暗い店内の異様な雰囲気とは対照的に、彼女たちが自然体であったことにどこかしら安堵を覚えた。と同時に、彼女たちの境遇、これからの人生を思い遣った。

 「新しい地政学」研究会は、民主主義、法の支配に基づくリベラルな国際秩序の後退と中国やロシアによる力による現状変更、という地政学の時代への逆行の認識に基づいていた。

 研究会が目指したのは、地政学が永続的な地理的条件に基づくゆえに継続的に影響する過程と、地政学が前提とする諸条件の変化により、新しい地政学へと変化した過程の双方を理解することであった。ゆえに、問われたことは、新しい地政学において、何が変わり、何が変わっていないかということであった。

 研究会では、古典的地政学の起源と理論が解説され、国家の歴史やアイデンティティの影響や、科学技術発展による宇宙やサイバースペースへの空間の拡大がもたらす新しい地政学の構図が示された。さらに、グローバル経済に参加しだした権威主義諸国の経済戦略がもたらす政治的影響が明らかにされ、それに抗しての自由民主主義陣営の再建の重要性も説かれた。

 一方で、地理的環境の継続的な影響は、現代世界の米中対立や、中東、アフリカ、ヨーロッパ、東南アジアなど世界各地の武力紛争や、その紛争解決のための国際平和活動にも、広く表れていることも包括的に明らかにされた。

 さらに研究会の関心は、国際協調と地政学の相克の来歴と行方にも向けられた。国際保健協力は、地政学の影響を受けながらも、専門家による高度専門事業として発展してきており、それは、トランプ政権の一国主義に対して、国際協調の砦となりうることも見出された。

 そして、地政学のハートランドやリムランドに位置する国や地域の事例研究が行われた。そもそも「中東」や「アフリカの角」という地域概念自体が、地政学を反映しているという。そして、プーチンのグランド・ストラテジー、中東や「アフリカの角」での情勢が、それぞれの宗教的歴史的要素を反映した独自の地政学的様相を示していることも実証された。そして、日本の事例では、中曽根元首相の地政学的思考が、今日の国際情勢の大きな変化においても一貫性を持った説得力を持っていることが、中曽根氏の思想形成過程とともに明らかにされた。

 これらの研究成果は、『新しい地政学』(東洋経済新報社、2020年)として出版されている。

 人権を研究した私は、新しい地政学においては、イデオロギー化した人権が、人権の形骸化を招き、国際秩序を乱しうる点に注目した。日韓慰安婦問題において、元慰安婦の尊厳回復運動が、反日イデオロギーとなり、目的を十分に達成せず、研究発表の自由をも脅かし、さらには日韓の安全保障協力を阻んだのである。

 人権尊重の世界的潮流の中で、ファシズムや共産主義との闘いを経たヨーロッパでは「記憶学(Memory Studies)」が、歴史認識問題を抱える日本では「和解学」が新しい学問領域として誕生した。これらの学問には、人権のイデオロギー化を防ぎ、リベラルな国際秩序を強化するような知的貢献が期待される。

 『新しい地政学』の副題案でもあった「中庸の国際秩序/協調を求めて」という表現は、「新しい地政学」の時代に日本が果たすべき役割への期待を込めたものと思われる。日本は、アジアと欧米、そして途上国と先進国の架け橋でもあり、かつ独自の寛容性をもつ。日本の地政学的戦略は、そうした日本の強みを活かして、リベラルな国際秩序維持に資するべきである。

 北岡先生は、大局的な考え方を常に提示くださり、細谷先生は、原稿の草案において丁寧にご指導下さった。「グローバルな文脈での日本」へも招待下さった田所先生を始め、お世話になりましたすべての先生、関係者の皆さまに、改めて心から御礼申し上げる。

新しい地政学

著者 北岡 伸一/細谷 雄一編
  田所 昌幸、篠田 英朗
  熊谷 奈緒子、詫摩 佳代
  廣瀬 陽子、遠藤 貢
  池内 恵
 
発行 東洋経済新報社
発行日 2020年3月12日
目次  
序章 古い地政学と新しい地政学(北岡伸一)
<第Ⅰ部 理論的に考える>
第1章 新しい地政学の時代へ(細谷雄一)
第2章 武器としての経済力とその限界(田所昌幸)
第3章 国際紛争の全体図と性格(篠田英朗)
<第Ⅱ部 規範・制度で考える>
第4章 人権の普遍性とその濫用の危険性(熊谷奈緒子)
第5章 国際協力という可能性(詫摩佳代)
<第Ⅲ部 地域で考える>
第6章 プーチンのグランド・ストラテジーと「狭間の政治学」(廣瀬陽子)
第7章 「アフリカの角」と地政学(遠藤貢)
第8章 「非国家主体」の台頭と「地域大国」(池内恵)
終章 中曽根康弘の地政学(北岡伸一)

熊谷 奈緒子(くまがい なおこ)

青山学院大学地球共生社会学部教授
新しい地政学の時代における国際社会を考える研究会メンバー

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