地域文化が日本社会に与えるヒント
長尾 雅信 Masanobu Nagao
「地域文化が地域をつくる。何の得にもならないけれど、地元の仲間と一緒に楽しむのが忘れられず、苦しい準備を重ねて活動を続ける。地域文化活動には、草の根エネルギーの知恵のエッセンスが詰まっている」。これは御厨貴先生と飯尾潤先生を中心とした「地域文化の未来を考える研究会」の趣意書冒頭の一文である。2年間、各地の地域文化活動の担い手の方々のお話を伺い、時に活動の現場に足を運ぶにつれ、まさにそのことを実感した。
人口減少や社会情勢の変化、人々のライフスタイルの変容によって、多くの地域文化活動の運営は厳しい局面に立たされている。まさにそれは地方そのものが抱える課題であり、日本が取り組まねばならない宿題である。そこにあって、私たちが出会った担い手たちの顔に浮かんでいたのは悲壮感ではなく、人をひきつける愛嬌であり、口から出てきたのは控えめな物言いながらも、活動を楽しく続けるヒントであった。この度、研究成果報告を提言書「続けるヒント」としてまとめたので、ここでその中で紹介している彼ら・彼女たちの知恵を少しばかり紐解いてみよう。
長く地域文化活動を続けると惰性や周囲の期待によって身動きが取りづらくなる。ましてや活動環境は決して追い風であるとは言えない。そのなかで無理をせず活動を続ける団体では、活動の棚おろしによって活動の負荷を和らげていることが窺えた。活動の根幹や取り組み、役割分担を適宜見直しているのである。生物が新陳代謝をしてその命を永続させるような知恵を見た。
地域文化につきまとうのが“ねばならない”という決まりごとである。実はそういったルールやしきたりは地域文化の根幹とは関わりが薄く、先人たちがその時の環境対応から生み出したものであった。棚おろしを適切に行っている団体は、それを柔軟に変えることを厭わない。仕切りを外し垣根をどんどん取り払い、女性や地域外の人々、外国人を呼び込んでいく。ひとりに頼り切らず、中核メンバーによる複数リーダー制をとってみる。番頭格がしっかりしているうちに一足飛びに若者へバトンタッチをする。こういった思い切りのいい組織運営を見ると、停滞する日本企業や政治が地域文化活動から学ぶことは多いように思う。
ダイバーシティ(多様性)が叫ばれる世である。地域文化活動はその名から縁遠いようでいて実は違う。各地に目を向ければ、愛好の士の集まりには異なった価値観、職業、年齢、性別の人たちのつながりが生まれてきた。ゆるやかなつながりを志向する地域では、近年着目されている関係人口を意識している。比較的時間の融通が利く大学生、さらには観客も活動を支えるパートナーとして捉えている。その人たちとの関係性を深める鍵。それは人手が足りないから外から人を連れてくるのではなく、楽しいことをもっと面白くするための知恵と出会うという意識、その人たちと楽しいことを分かち合うという姿勢のようだ。ダイバーシティとインクルージョン(包摂)は一対であることを学ばされる。
あらためて地域文化活動の現場からの学びをふり返ると、まわりに流されず身の巾手の巾でいること、何より楽しむことを原点に据えることがその健やかな循環を生み出しているのだと気づかされる。
ここで研究会のこともふり返ってみたい。多くは初対面であったメンバーは魅力的な人ばかり。各分野の気鋭の学者、地域づくりや郷土芸能の現場を知悉する方々、生き生きとした財団事務局。男女のバランスもよく、多様性に満ちた構成であった。交流を重ねるにつれ、皆さんの誠実で陽気な人柄にも引きつけられていった。
現場でのインタビューでは、地域文化の担い手の皆さんの話に真摯に耳を傾け、課題については共に悩み、その場で解決の糸口が出せなければ、後日レポートでフィードバックをする。そのクオリティ、締め切りを確実に守る姿勢には背筋を伸ばされ「生半可なものは出せない」という意識が共有されていた。
研究会の理念の共有と巧みな場づくりも印象深い。飯尾先生から提示された地域文化の魅力と危機感の解題は、各々の研究領域、現場に通底するところがあり、意識をそろえることに繋がった。御厨先生の一言も効いた。「これはね。小島さんの引退興行なんだ」。長年サントリー文化財団において、地域文化を支え、ともに歩んでこられた事務局の小島女史。彼女との交流を深めるにつれ、このことを意気に感じないわけにはいかなかった。
場づくりにおいてはクラシック愛好家である飯尾先生のマエストロぶりに、メンバーはいつも感銘を受けていた。現場でのインタビューには研究会と財団の事務方を入れると、多い時で15名ほどで伺う。いくら財団との信頼関係があるとはいえ、この数ではインタビュイーも物怖じや警戒の念を抱きかねない。そこにあって飯尾先生はやわらかく現場の方々の声に耳を傾け、相槌を打たれ、時につっこみをいれながら、話し手の心をひらいて下さった。話しやすい場が整えられたころ「さあ皆さんいかがでしょう」という質問の促し。別れ際には聞き手も話し手も満足の表情が浮かんでいた。
今回の提言書の随所に見られる知見は、現場の方々のご協力と先生方、財団の皆さんの場づくりによるものである。現場調査も提言書の執筆もハードなスケジューリングであったけれど、皆一様に口にするのは「楽しかった!」という前向きな言葉。提言書が出来上がった今、「別のテーマもまたこのメンバーで取り組みたいね」と話しながら、日本各地への成果報告へと向かう研究会メンバーである。