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研究助成

成果報告

若手研究者による社会と文化に関する個人研究助成(鳥井フェローシップ)

2024年度

バリ島「ろうの村」における遊びインタラクションとしての音楽

東京大学大学院総合文化研究科 学術研究員
西浦 まどか

 本研究課題は、インドネシアのバリ島にあるブンカラ村におけるろう者の音楽やダンスとの関わりについて、「遊び」の観点から分析するものである。ブンカラ村は、遺伝的にろう者の出生率が高いことで知られ、その結果独自の手話言語が用いられているほか、ろう者によるダンス公演が行われている。申請者はこれまで、ブンカラ村にて文化人類学的な長期フィールドワークを断続的に行い、現地において「ろうであること」がどのように位置づけられ、どのようなコミュニケーションを行っているのかを研究してきた。本研究課題はそうしたこれまでの調査を基礎としながらも、これまでは論じてこなかった新たな論点である「遊び性」と音楽やダンスに着目しながら、現地におけるろう者の音楽との関わり方を分析し論じる試みである。
 2年目となる本年は、1年目で明らかになった以下の論点、すなわち、形式としての「〇〇遊び」と「遊び状態」との区別の必要性、ブンカラ村における聴者とろう者の音楽にまつわる領域差、そしてブンカラのろう者たちは日常の「遊び」の文脈で音楽実践に「参与」していることを踏まえ、主に以下の点について調査を行った。
まず、本研究課題では改めて理論的な検討を行った。「鬼ごっこ」などの個々の形式としての遊びと、その形式での経験にフォーカスした「遊び状態」の区別を敷衍すべく、「遊び状態」のあり方を文献調査した。とくに、これまで調査してきた美学や現象学的、文化人類学での遊び論に加え、発達心理学や教育学など、人間の原初の姿としての乳幼児が遊ぶ姿の研究等を参照し、近年そこで「中動態的な関係性」が注目されていること、音楽はそうした中動態的な性質を引き出す重要な要素になりうることが見えてきた。
 次に民族誌的な事例分析を行った。とくにブンカラ村におけるろう者ダンスステージについて、その歴史に関する聞き取りデータを整理するとともに、公演の録画記録データを分析した。ブンカラ村の「ろう者ダンス」の中でも最も歴史が古く上演機会の多い「ジャンゲル・コロッ」は、バリ伝統舞踊の歌つきの集団舞踊である「ジャンゲル」をもとに、聴者のダンサーがブンカラのろう者用に振り付けたものがベースとなっている。福祉や観光の文脈での客の依頼でのみ上演されるが、このとき、客が提示する上演料の多寡に応じて、上演時間が伸び縮みする。しかし上演料にかかわらず、充分な時間をとって行われるのが、観客参加コーナーであった。本研究ではその「観客参加コーナー」において、各ダンサーと各観客がどのように動き、関わり、インタラクションを展開させているかについて、特定の上演動画を分析した。その結果、観客参加コーナーをリードするろう者のダンサーは、臨機応変に客の動きや雰囲気に呼応し、その場の盛り上がりを引き出していることが明らかになった。言い換えれば、観客参加コーナーにおいてろう者ダンサーは踊りの振り付けや形式を正確に踊ることよりも、「遊び状態」を高めることが求められていたのであり、聞こえや国や言語の異なる「他者」との交歓としての踊りの在り方が、ここから見えてきた。
 さらに本研究では、こうしたダンスステージとは異なる日常の文脈で、遊びとして踊りだすろう者たちの事例を抽出し、彼らがどのような文脈で、なぜ、どのように踊り、それがどのような意味合いを持っているのかを分析した。その結果、飲み会やトランプゲームなどでの「遊び状態」全体の一部として、環境や他者となめらかに呼応し、ときに伝染する「踊る身体」がうまれていることがわかった。また、冗談フレームや一種の鼻歌として踊りの形式が用いられていることも観察された。こうした事例においては、彼らがリラックスして踊りで遊ぼうとする文脈と、遊ぼうとしない文脈との違いが明白であり、「遊び状態」として踊ることができるかどうかがろう者の音楽参与において決定的に重要であることが改めて示唆された。このことは、ろう者と音楽との関わりを検討する際に従来取られてきた知覚ベースアプローチの限界をも示す。すなわち、ろう者が音楽に参与するかどうかは、音が聞こえるかどうか、あるいはどのような刺激なら知覚できるのか、といった視点ではなく、その知覚された刺激で、状態として「遊べる」かどうかが重要なのである。
 本研究課題では安易にろう者全般や人類普遍のこととして議論の主語を大きくすることを避け、あくまでブンカラ村のろう者コミュニティに対象をしぼっている。とはいえこうした議論を通じて、「音楽」を音声中心的な議論から解放し、出来事としての音楽活動=ミュージッキングが人びとの社会文化的な営みとしてどのような意義をもつのか、その足掛かりが「遊び」という観点から示唆されることとなった。

2026年5月
※現職:立教大学現代心理学部 助教