成果報告
2024年度
ペルシアがつなぐティー・ロードー19世紀末中央ユーラシアへのインド茶の流通とその変容
- 大阪大学大学院人文学研究科 招聘研究員
- 山内 瑞貴
19世紀にイギリスがインドで生産を始めた茶(以下、インド茶)は、いわゆるイギリス文化を象徴する「紅茶」としてよく知られている。インド茶は、その生産から消費に至るまで、イギリス本国と帝国各地の社会のあり方やつながり方を具体的に明らかにする研究対象として注目されてきた。しかし、本研究の関心はイギリス帝国そのものにはない。むしろ、インド茶がイギリス帝国の外側へ運ばれたとき、人やモノのつながりがどのように形成されたのかに注目している。
本研究は、インド茶の流通を手がかりとして、19世紀後半から20世紀初頭にかけての中央ユーラシアと南アジアのつながりを明らかにすることを目的としている。とくに本研究では、両地域の中間に位置するペルシア(現在のイラン)に注目し、同地域がインド茶を中央ユーラシアへ運ぶ新たな経路の一部となっていた可能性を検討した。
19世紀後半の中央ユーラシアは、ロシア帝国とイギリス帝国の対立(いわゆるグレート・ゲーム)の舞台となった地域である。このため従来の研究では、国境の形成や帝国の勢力拡大といった政治的変化に関心が集まり、中央ユーラシアと南アジアを結ぶ交易路も次第に衰退したと理解されることが多かった。しかし、人々の日常生活に目を向けると、そうした政治的分断だけでは説明できない交流の実態が見えてくる。本研究は、帝国や国家による「分断」の歴史ではなく、人々の生活を支えた「接続」と「交流」の歴史を明らかにしようとする試みである。
そのために本研究が注目したのが茶である。茶は消費財であり、人々が飲み続けるためには継続的な供給が必要となる。そのため、茶の流通を追跡することは、当時の商人や輸送経路、地域間の結びつきを考えるうえで有効な手がかりとなる。また、茶は単なる交易品ではなく、人々の日常生活や嗜好とも深く結びついた商品である。19世紀の中央ユーラシアでは、中国茶だけでなくインド茶も消費されていたが、それらがどのような経路を通じて運ばれたのかは十分に明らかになっていない。茶の流通をたどることは、その背後にある社会や文化のつながりを考えることにもつながる。
申請者はこれまでの研究で、英領インド北西部からアフガニスタンやカシミールを経由して中央アジアへ向かうインド茶の流通網が、1870-80年代には維持されていたことを明らかにしてきた。この結果は、英露対立が深刻化した時期においても、中央ユーラシアと南アジアの経済的・文化的なつながりがただちに失われたわけではなかったことを示している。本研究では、その成果を踏まえて、ロシア帝国の勢力拡大や関税政策の変化が進んだ1890年代以降に分析の射程を延ばし、インド茶の輸出路がどのように変化したのかを検討した。
本年度は、インド政庁が作成した当時の行政文書である『パンジャーブ地方の陸路対外貿易』を中心に、1891年度から1909年度までの統計資料を分析した。分析の結果、以下の2点が確認された。第一に、1894年頃を境に、アフガニスタンのカーブル方面へ向かう茶の輸出が大きく減少していた。この変化は、ロシア帝国による中央アジア方面への関税圏拡大や、アフガニスタン側の通商条件の変化と関係していた可能性がある。
第二に、茶の輸出総量そのものには大きな減少がみられなかった。むしろ、カシミールやラダック方面への輸出が増加しており、従来アフガニスタンを経由していた流通の一部が、別の経路へ移っていた可能性が高いことが分かった。この成果は、19世紀末の中央ユーラシア交易を単純な「衰退」として理解する従来の見方を見直す必要があることを示している。少なくともインド茶の流通に関する限り、人や物の移動は完全に途絶えたのではなく、政治的・経済的な環境の変化に対応しながら形を変えて存続していたと考えられる。
さらに本研究では、20世紀初頭のペルシアに関する商業調査報告書の分析も進めた。そのなかで、インド茶がペルシアを経由して中央アジア方面へ運ばれていた可能性を示す記録を確認した。現段階では単年調査に基づく断片的な史料であり、この経路の規模や継続性については慎重に検討する必要がある。しかし、アフガニスタン経由路の縮小後、ペルシアがインドと中央ユーラシアをつなぐ結節点の一つとなった可能性を考えるうえで、重要な手がかりを得ることができた。
本研究は、帝国や国家の境界だけでは見えてこない、人々の日常生活を支えた広域的なつながりを明らかにするものである。茶という身近な商品を通じて歴史を見直すことで、19世紀末の中央ユーラシアが単なる対立や分断の舞台ではなく、多様な商人や輸送者が行き交う交流の場でもあったことが見えてくる。また、インド茶の流通は、南アジア、ペルシア、中央アジアを別々の地域としてではなく、相互に結びついた広域的な歴史空間として捉える視点を与えてくれる。
今後は、ペルシアを経由した茶の流通経路や、その担い手となった商人集団の実態をさらに検討する必要がある。とくに、領事報告や商業調査報告、現地商人に関する記録を組み合わせることで、統計資料だけでは見えにくい人々の移動や取引の実態に迫りたい。本研究を通じて、インド茶をめぐる「ティー・ロード」の変容をより具体的に明らかにし、政治的対立の時代においても続いていた地域間交流の歴史を描き出したい。
2026年5月
※鹿児島大学法文学部 助教




