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研究助成

成果報告

若手研究者のためのチャレンジ研究助成

2024年度

文楽人形の型は不変か ―デジタルアーカイブを活用した人形演技の研究―

京都市立芸術大学大学院美術研究科 博士(後期)課程
中野 ふくね

 文楽人形は、三人遣い操法の確立により、浄瑠璃に描かれた複雑な情の世界を体現しうる人間さながらの動作を可能にした。人形のカシラと右手の操作を担う主遣いが、自身の身体と人形動作によって非言語の合図を出し、それを人形の左手を操作する左遣いと両足担当の足遣いが受容して人形操作に反映することで、三人で息を合わせてひとりの人物を現出させる。本研究は、公演記録映像が現存する1960年代以降の文楽を対象として、三人遣いによる人形演技の型にみられる変遷と、型を実行するための人形操法の究明を試みる。現代を生きる人形遣いは、古典演目を演じる際にどのように工夫し、何を心がけているのだろうか。
 文楽では主遣いからの合図があるために、しかるべき修業を経ていれば事前の打ち合わせがなくとも三人で人形を遣うことができるとされている。しかし、文楽人形には「型」として紹介される特定の動作のまとまりも存在しており、それらの動作はおおむね定型化していると思われてきた。本研究では、女方人形の嘆きの場面でみられる代表的な型である「うしろぶり」を取り上げ、記録映像等のデジタルアーカイブを独自の「操作図」を用いて分析することで、世代や人形遣いによって異なる様式が存在していたこと、そして人形遣い三人がどのような連携のもとにうしろぶりを成立させているかを明らかにする。
 そもそも文楽人形の操法や演技に関する研究は、一次文献が僅少であることに加え、言語化が困難なことが要因となって、研究手法が確立されていないのが現状である。本研究ではこの課題に対し、文楽公演の記録映像や自身で実施した実演リサーチの録画といったデジタルアーカイブを資料として、人形遣いによる操作の様子を客観的な線描にした「操作図」を作成し、一覧性と比較可能性が担保された状態とすることによって打開を図った。
 現存する公演記録映像は、1960年頃を最初期として、現在までに約500件におよぶ蓄積がある。1970年代後半からは、国立劇場によって継続的に収録されるようになった。このなかから確認しうるうしろぶり(277件)を視聴し、同一条件における操作図を作成して歴代の人形遣いの演技を比較した。すると、同じ演目の同じ場面であっても、主遣いが異なれば鑑賞者からも視認可能な表現の相違が確認された。例えば、現行の舞台でみられる、両手を翼のように大きく広げる華やかな表現は三世吉田簑助(1933-2024)の影響が濃いが、遡ると三世吉田文五郎(1869-1962)は両肘をやや曲げた優美な形を、二世桐竹紋十郎(1900-1970)は両手を広げないしとやかな形をとっていたことが判明した。一見すると些細な差異にも思えるが、観客の受容効果としては異なる印象を生む。こうした相違を単なる個人差として見過ごさず、異なる表現として注目し考察することで、歴代の工夫の足跡が明らかになる。
 続いて、うしろぶりの操法を分析するため、上演頻度の高い演目である『艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)』「酒屋の段」のお園による上手向きのうしろぶりを取り上げ、人形遣いの協力を得て実演リサーチを実施した。リサーチでは、通常の女方人形を用いた実演に加え、人形の衣装を取り外し、主遣いがカシラのみを持った状態での操作を依頼した。実演の記録映像を用いて操作図を作成し、実演と同時におこなった聞き取りの内容を照らし合わせながら分析することにより、三人それぞれの操作手順が整理され、人形操作に含まれる主遣いからの合図の発信と、左遣いと足遣いによる受容の実態が把握できた。文楽人形は背後から操作する構造になっており、人形の後ろ姿をみせる表現は本来なら不向きなはずである。この欠点を表現として昇華するために、主遣いが左遣いに人形の右手を託す、左遣いが人形の両手に角度をつける、足遣いが人形の足元をすばやく広げる等、各自が重要な操作を担っていることが明らかになった。
 本研究では、うしろぶりの様式変遷と操法の解明を試みた。記録映像を遡ると人形遣いによって異なる表現が工夫されていたことが確認でき、「型」と認識されている人形動作であっても、決して定型化を起こしていないことがわかった。そして、文楽人形が後ろ姿をみせるのは構造的に容易ではないからこそ、人形遣い三人の高度な連携と緻密な操作によって、ひとりの人物としてのかたちを損なうことなく美しい後ろ姿に至るのである。
 今後は、本研究で実施したデジタルアーカイブをもとに操作図を作成し分析に用いる方法を、さらに広範囲の人形演技に適用して研究を進めたい。人形の演技に対する具体的な着眼点と分析の例を提示できれば、その成果は研究者のみならず、人形演技の魅力を深く理解したいと望む全ての鑑賞者に還元しうると考えている。デジタルアーカイブを用いたパフォーミングアーツ研究の一手法として、今後の学際的なひろがりを展望する。

2026年5月