サントリー文化財団トップ > 研究助成 > これまでの助成先 > シンガポールで中断されマラッカで再開された軍政下の医学教育が地域社会に及ぼした影響の再検討

研究助成

成果報告

研究助成「学問の未来を拓く」

2024年度

シンガポールで中断されマラッカで再開された軍政下の医学教育が地域社会に及ぼした影響の再検討

京都大学東南アジア地域研究研究所 連携教授
吉川 みな子

研究目的と方法
 本研究は、1942年2月に始まった日本の軍政により「昭南」と称されたシンガポールにおいて、1)医学史上の空白と言われている1943年4月に開設された昭南医科大学における教育の実態をつまびらかにし、2)その医科大学が開設後わずか10ヵ月後にマレーシアのマラッカに移転された理由を解明し、3)医学教育の中断・再開が地域社会に及ぼした影響を再検討することを目的としている。国内外の文献調査およびシンガポール、マレーシア(マラッカ、クアラルンプール)において臨地調査(現地資料の収集、施設展示物の精査、および行事・イベント等の参与観察などから成る)を行っている。

研究の進捗、成果、得られた知見および気づき
 文献調査に加えて行っている臨地調査が期待以上の成果をあげている。キーワード検索では検出できない複数の英文資料が、シンガポール国立図書館、国立大学中央図書館、タントクセン総合病院等の医療機関において保管されていることが確認できた。また、シンガポール国軍の関係団体が主催する「戦跡を歩いて辿る」活動に参加し、どのように当時の様子が伝えられているかについて情報収集した。植民地政府が日本軍に降伏した2月15日は「トータル・ディフェンスデー」に定められ、今ではあらゆる国家的な危機について複数の活動やイベントを通じて一般社会に注意喚起が行われる日であり、この戦跡辿りもその一環であった。現地では昭南時代の出来事は世代間で語り継がれ報道機関が年々とりあげている。元フォード工場で常設展示されている戦時資料と、シンガポールの歴史が描かれた幅67メートルに及ぶ絵画作品を通じて、戦後80年を経た現在でも昭南時代がシンガポールの歴史の重要な一部として位置づけられていること、こうした視覚情報や芸術作品が歴史的事象の継承に寄与していることにも気付かされた。
 マラッカでは戦時中に使用されていた病棟を視察し、総合病院所蔵の英語、マレー語文献を収集し、マラッカ総合病院が医科大学の移転先として選ばれた有力な理由と考えられる新たな知見が得られた。

課題と今後の展開
 昭南医科大学に関する史料は乏しく、先行研究も不足していることから、日本語・英語の関連研究の文献を網羅的に調査しわずかな記述を拾い集めている。これら文献調査を継続しつつ今後の臨地調査では、シンガポール国立公文書館所蔵のオーラルヒストリー等の視聴覚情報を検討し、医科大学関連の施設(跡地を含む)における情報収集を通じて、日本軍による医学教育の内容を検証する材料を得られるよう尽力したい。

2025年9月