成果報告
2024年度
アジアのアール・ブリュットに対する国際比較研究:研究基盤の構築とバーチャル・ミュージアムの開設準備
- 国際日本文化研究センター研究部 機関研究員
- 森岡 優紀
1. 本研究の目的
本課題の目的は、アジアの「アール・ブリュット」の国際比較研究の先駆けとなることにある。アール・ブリュットの美術史的価値に重点を置く研究方法は、実際のアジア各国の歴史的社会的な条件とは合わず、本研究ではアジアに適したアール・ブリュットの可能性を追求するために、研究の枠組みを新たに構築することを目指す。
2. 本研究の研究方法
現在、アジアのアール・ブリュットに関するまとまった論考等の先行研究は皆無である。そこで、研究の学術的枠組みを構築する前に、直接訪問による工房調査の方法を採用した。海外では、中国南京の「南京原生芸術中心」。台湾高雄市「高雄市原生芸術育成中心」、台湾台中市「光之芸廊」、日本では「神戸光生園」、「やまなみ工房」、「落穂寮」の調査を行った。以上の調査により、ほとんど知られていなかった中国や台湾のアール・ブリュットの状況を明らかにする第一歩となった。
3. 得られた知見と今後の課題
工房調査からは、我々が「芸術」という制度が無意識のうちに含みうる「前提」が浮かび上がった。第一点は、「芸術性」とは作家の主体性、自律性によって成立するという前提である。そのため、作家が主体性や自律性をもたず、かつ支援がない場合には実質的に「芸術」は成立し得ない。芸術家の主体性は当然視されており、一般的に注意を向けることがない。第二点は、社会的に「芸術」となるためには常に「他者性」を前提とする。障害をもつ作家は、必ずしも「公開」するために創作を行っている訳ではない。しかし展覧して社会に作品を公開する場合には、誰に対しどのように公開するかという「他者」を考えずには成立しない。第三点は、「芸術」は所謂「健常者」と呼ばれるマジョリティの身体性を前提としている。色彩でも赤色が全ての人に同じように赤に見えている保証はないが、マジョリティの身体性をもつ者はその事実を通常、意識することがない。
「アール・ブリュット」という美術のジャンルは欧米から受容されたものである。アジアでも障害をもつ人々の創作活動自体は長く行われてきたが、この概念が受容されることにより、「芸術」とはみなされなかった作品群が「芸術」とみなされる可能性が一気に大きく拓けた。この点は大きな進展といえるが、実際の調査からみえてきたのは、マジョリティと異なる身体や脳神経、疾患をもつ者の芸術は、美術の一ジャンルに留まらないということである。それは、当然視されてきた芸術の前提を覆す、より根本的な問いを投げかけている。そのため、アール・ブリュットに対する研究は、芸術史や美術史研究の前提を問い直し、既存の芸術史研究の枠組みを再考し、新しい枠組みを模索する必要がある。
今後の課題として、継続して工房などの調査を続けるとともに、アジア各国の歴史的社会的な背景に適した、障害をもつ人の創作を研究する学術的枠組みをどのように設定するかを検討していきたい。
2025年9月




