成果報告
2024年度
日本酒醸造の変遷と言葉による味覚表現の関係史の構築を目指して
- 京都府立大学文学部 共同研究員
- 母利 司朗
〔研究の目的・概要〕
初年度の課題研究においては、江戸時代の酒はどのような酒であったのか、人はどのような味の酒を好んだり嫌ったりしていたのだろうか、という問題を、従来ほとんど取り上げられることのなかった俳諧や戯作という俗文芸に書き残された言葉と表現から探ってみるという方法を試みた。結果的には、「辛」い酒への嗜好のきわめて強かったことが判明したが、一方では「甘」い酒を肯定的に表現したものも少なくなかった。江戸時代大半の時期の酒が現代とは比べようもないほど甘かったことを考えると、言葉としての「辛」「甘」が、現代の酒について言われる「辛」「甘」と同じものであったとは考えられず、現代と同じ尺度で「甘」「辛」を論じることのむつかしさを感じた。同課題を継続した2年目の研究においては、化学的分析による酒の特性と人の感覚との関係を、便宜的に復元酒の分析と利き酒によって把握してみること、および江戸時代260年間の中での時代による酒の味への嗜好の異なりや地方による酒の味の異なりの状況について、初年度で試みた文芸からの考察手法をさらに進め、多くの文芸資料から採取したデータによる酒表現データベース作成の準備を推し進めることを目指した。
〔研究の進捗状況・新たに得られた知見〕
醸造伝書等に基づいてそれぞれの時代の酒を復元した復元酒を化学的に分析し、その各種数値を確認しながら、実際に「利き酒」をおこない、人はその味をどのように感じるのか、どのような言葉で表現できるのか、をこころみた。その結果、現代の酒ではありえないほど糖分の多い酒も、酸味などの他の要素によって、人の感覚として、単純に「甘」いと一言では言えないものであることが判明した。くわえて、現代ではほとんどの酒が狭い数値の範囲内におさまりほぼ均一化しているのにたいし、江戸時代の酒が、同じ江戸時代でも時期により、あるいは地方により、かなり異なった数値を示す酒であったことも判明した。
初年度の研究で論文化した俳諧と戯作による江戸時代の酒の味についての表現に関わる研究は、江戸時代260年をひとかたまりとし、日本を一つとみなした研究であったが、さらに大量の文芸資料からデータを集めてゆく過程で、「古酒の風味の鬼ごろし」という江戸時代中頃の酒の味についての肯定的表現方法があることに気づいた。これは江戸で評判が良くなかった「甘」い秋田酒にたいし、江戸で評判の良い伊丹酒を言う表現であった。これは江戸で好んで飲まれる下り酒(池田・伊丹の酒や灘酒)と地方の酒との異なりを示す一例であり、このような表現は他の地方の酒についてもわずかずつであるが見つけられだしている。
〔今後の展開〕
酒の味だけではなく酒全般についての言葉や表現を文芸から拾いとった酒表現データベースを現在準備中であり、さらにデータを増やし完成させたい。
2025年9月




