成果報告
2024年度
コミュニティと外部介入の暴力性:政治学・歴史学・神学と実践知の対話
- 福岡女子大学国際文理学部 准教授
- 石神 圭子
研究概要
本研究は、「地域コミュニティ」に対する外部からの介入が、内部の編成をいかに変容させ、いかなる負の側面(暴力性)をもたらすかを、歴史学・政治学・神学の対話と久留米の実践者との協働を通じて明らかにするものである。本研究の意義は、成功事例のチェリーピッキングを避け、規範としての「コミュニティ」に遡行しつつ教会ベースの組織化と宗教言語の文脈理解を通じ、国家―市場の狭間にある共同性を再定位することにある。なお、ここでの地域コミュニティへの介入については、アメリカを起源として日本に輸入された地域コミュニティの参加促進活動であるコミュニティ・オーガナイジング(以下CO)と、それに従事する実践者を主な対象とする。
研究の進捗状況
体制・連携:歴史学・神学・政治学のメンバー間で問題意識の共有が成立した。また、久留米のCO実践者との信頼関係は、研究代表者による2023年度の先行インタビューを起点に大きく発展した。研究会・議論:当初の計画に沿い、オンライン/対面の研究会を重ね、分野横断の共通言語化を進行した。最終段階では、地域リーダーの役割、助成金・成果への圧力、カルト混入、選挙利用といった実践者が抱える葛藤が明らかになった。また、実践者から提起された久留米というコミュニティの規模と「祭」の機能が学問的議論へと発展した。さらに、彼女らから漏れ出たCOの「閉じ方」という論点は、これまでCOによる参加の量を評価してきた研究に対して、COという参加システムにおける「離脱」の制度化という課題として浮かび上がった。理論・資料整備:神学的基盤:Luke Bretherton, Resurrecting Democracy(2015)の翻訳作業が進行し、神学パートの解説体制を確立した(石神圭子監訳『蘇る民主主義』2026年刊行予定)。また、2025年度のNPO学会にて学会報告を行った(公募企画:「コミュニティ・オーガナイジングをトランスナショナルに捉え直す――アメリカ・韓国・日本をめぐる地域共同体の困難」)。以上、研究の枠組み・関係性・議論の土台は前進したといえる。現場との往還から、申請時に想定した「介入の暴力性」を具体的事象として把握し始めている。
成果・研究で得られた知見
A.介入の暴力性の諸相(観察可能メカニズム):成果圧力と自己同一性の侵食
助成金・事例蓄積が目的化し、「成果を明確化せよ」という外部要請が当事者の「らしさ」を毀損し得ることが明確になった。また、介入の混線(カルト混入)については、外部主体が宗教的色合いを帯びる場合、現場に混乱が生じる。さらに、コミュニティ実践の実績が地方選挙等で資源化され、活動の自律性を揺るがすリスクが指摘された。最終的には地域リーダーの媒介能力が介入の影響を左右することになる。
B.共同性と宗教・文化の再定位
「祭」の二面機能:祭は形成(結束)と同時に境界構築(排他)も促す。社会学では既知だが、宗教学・宣教学との接合(宗教起源・神学的言語の運動への浸透)という観点で再検討の必要性が共有された。日本の研究ではこの宗教的観点が手薄である。
C.コミュニティ・オーガナイジングの「閉じ方」
「開き方/運営」は蓄積がある一方で、どう畳むか(Exit/終了設計)がほぼ未開拓。人間関係・成果を左右する重要論点。
今後の課題:規範としての「コミュニティ」:善/悪の混交を前提とした評価基準(何が暴力で、何がエンパワメントか)を明確化する必要がある。
分野横断の統合:歴史学の知見、政治学の公共圏・権力分析、神学の共同性論を操作可能な概念セット(例:介入の回路・媒介者・資源・時間軸)へ整流できるのではないか。
宗教資源の公共化:宗教言語/儀礼(祭)が、境界を硬化させるのか橋渡しするのかを弁別する条件(誰が/いつ/どの文脈で)を特定しうる。研究の日米比較の道筋が見出すことができた。
2025年9月




