サントリー文化財団トップ > 研究助成 > これまでの助成先 > 戦後賠償建築の環太平洋史:インドネシアにおける日本の建設プロジェクト

研究助成

成果報告

若手研究者のためのチャレンジ研究助成

2023年度

戦後賠償建築の環太平洋史:インドネシアにおける日本の建設プロジェクト

コーネル大学アジア研究科 博士課程
山下 嗣太

 本研究は、日本が戦後賠償として1960年代にインドネシアの首都ジャカルタに建設した建築プロジェクトを通して、国際的な都市空間形成を歴史的に考察する。1942年から45年にかけての軍事占領への対価として支払われた戦後賠償は、冷戦下において東西陣営間を揺れ動くインドネシアへの交渉材料として外交史の文脈で論じられてきた。本研究は、各建設プロジェクトを技術史・都市史的に考察することで、そのような外交関係がいかに物的空間を構築したかを論じる。
 冷戦期の環太平洋的な外交・技術的連関を歴史記述の焦点とすることで、本研究はインドネシアへの関与を日米社会やその都市空間に深く関係する問題として提示する。アメリカをはじめとする西側諸国は、その拠点である日本の経済的負担を軽減し、産業復興を推進する方針をとった。そのため戦後賠償は、現金ではなく、日本企業による製品や開発プロジェクト、技術支援の形で支払われることとなった。自身が建築家でもあったスカルノ大統領は、新興独立国家の発展の象徴としてホテル、百貨店、高層オフィスビルを含む国際様式の近代建築を要望した。その結果、日本の建設業は、日本政府に保証された潤沢な予算をもとに最新の技術を、時には国内よりも先に実現することができた。一方で賠償プロジェクトを獲得した企業の多くは、戦前や戦中からインドネシアを含む海外領土へと進出しており、そこでの技術的蓄積やネットワークが活かされることとなった。日本とインドネシアはそれぞれが1945年を歴史的断絶として、民主主義国家、独立国家としての新たなスタートとして表象してきた。しかし技術・産業関係に着目することで、日本にとって東南アジアが一貫して商品輸出や資源獲得の対象であったという歴史的連続性が明らかとなる。
 戦後賠償による技術の連関に焦点を当てることは、西洋から日本、そしてそれ以外のアジアへ、都市近代化が一方向的に伝播したという認識の問い直しにつながる。国内の復興を終えたばかりの日本の建設業にとって、賠償は東南アジア進出の契機となったが、高層建築の設計などアメリカの技術だけでなく、ボーキサイトや石油などインドネシアの資源にも依存していた。加えて日本の技術が一方的に輸出されたのではなく、熱帯の気候条件に合わせて、インドネシアの技術者や建設作業員との協力によって建設が行われた。戦後日本は技術大国として内在的に発達したと語られがちであるが、建設技術は欧米以外の国々も含む国際的な相互関係に基づいて発展したのである。同時に、インドネシアは日本からの技術や資本提供の受動的なアクターではなく、スカルノは独裁政権の威信を確立するため、戦後賠償を1962年にジャカルタで開催された第四回アジア競技会前後の大規模開発に利用した。その結果、1964年の東京オリンピックよりも先に、日本からの訪問者が驚くような近代的な景観が形成された。そしてインドネシアで実現した最新技術は、その後日本へと持ち込まれることとなった。すなわち、インドネシアの政治的主体性が技術移動の形式を規定し、それが東京の空間形成にも影響を与えたのである。
 他方で、本来はスカルノによってナショナリズムの象徴として建てられた賠償建築は、インドネシアの大衆にとっての日本イメージの構築に大きく寄与した。これらプロジェクトにおける高い技術の誇示やインドネシア企業とのネットワークの形成は、日本企業がその後インドネシアで大きな市場を獲得するきっかけとなった。しかし、スカルノは賠償資金の多くを大衆の日常生活と無関係であるモニュメンタルな建築に用いたため、困窮する人々の不満へと結びついた。完成後の百貨店は日本の電化製品のショールームの役割を果たしたが、大衆の経済水準とは程遠く、人々の反感を招いた。外資に対して敵対的であったスカルノとは違い、軍事クーデターを経て成立したスハルト政権は西側諸国へと接近し、大規模に外資を導入した。その結果、賠償による超高層ビルは日本企業がテナントのほとんどを占め、その頂上には日本企業の大きなネオンサインが輝いたため、貿易摩擦が顕在化していた1974年1月の、田中角栄首相訪問前後には反対デモの標的となった。この時期の東南アジアにおける反日感情の高まりは、経済進出一辺倒であるという印象への反省をもたらし、その後の日本の外交指針に影響を与えた。このように、戦後賠償という外交関係が都市空間を形成し、その空間が媒介となって外交関係に影響を与えるという循環関係にあったことを本研究は指摘する。

2025年5月