成果報告
2023年度
近世における仏画の担い手の多様性に着目した技法上の比較研究
- 皇居三の丸尚蔵館学芸部 研究員
- 上嶋 悟史
研究の動機、意義、目的
筆者は、これまで近世に描かれた仏教絵画(以下、近世仏画)の研究に取り組んできた。いくつかの重要な作例や動態について研究を重ねてきたが、なおも近世仏画全体を俯瞰するには至っていない。その理由としては、そもそも近世仏画の現存作例が非常に多いことに加え、それらが質的にかなり幅広いことが挙げられる。その不均質性の一つに、「担い手の多様性」が挙げられる。
近世においては、仏画専門の「仏画師」や教理に詳しい「僧侶」だけでなく、さまざまな職業・身分の人々が仏画を描いた。こうした多様な描き手たちはそれぞれ何を目的に仏画を描き、互いにどのような関係を結んでいたのであろうか?また仏画を求める側は、何を基準に描き手を選び、制作を依頼したのであろうか?こうした疑問に向き合うことで、近世仏画の注文~生産~流通~礼拝という一連のシステムの解明につながるのではないかと考えた。
研究内容
本研究は、近世仏画の担い手の多様性に着目する点、研究手法として技法の比較・検討を行う点に特色がある。技法を詳細に検討するためには、図版などではなく、実作品を調査しなければならない。そのため研究序盤では、従来作成していた近世仏画のデータベースを拡充しつつ、効果的な調査対象をリストアップした。近世において広く人口に膾炙し、多くの宗派で礼拝された「涅槃図」を主たる対象とした。
研究中盤から終盤にかけては、作品調査に関する交渉や、現地に赴いての作品調査を進めた。青森県、神奈川県、岐阜県、三重県、奈良県、大分県など広範にわたる寺院や美術館・博物館にて、計17件の涅槃図に対し実物調査を行うことができた。南都で代々続く仏画専門の絵所の棟梁だった竹坊浄屋(1644年作)、中津藩の御用絵師だった海北友倩(1700年作)、円山応挙の師として知られる狩野派の石田幽汀(1768年作)、妙心寺御用を名乗った井上幸助(1819年作)、盛岡~南部地方に集中して作品を残す地方画人・石井東江(1821年)、僧籍にあったと思われる醼酔(1817年)など、さまざまな属性の画き手による、制作年がわかるものを対象とした。またこれに加え、寺院や美術館・博物館、図書館、文庫などで関連史料の調査を行った。
研究成果、知見
本研究では、地域も描き手の属性も広範にわたる多くの作品を実見調査し、技法的特徴を観察することができた。調査を経て得られた知見として、例えば以下のものが挙げられる。
《調査結果1》南都の絵所では、金箔を細く切って文様をあらわす「截金(きりかね)」や、画絹の裏から金箔を貼る「裏箔」など、中世仏画では盛んなものの近世の作品ではほとんど見られない技法をとどめている。
→《導かれる知見1》仏画師の中には、近世においても伝統的な技法を継承していた集団があった。
《調査結果2》旧南部藩領内の曹洞宗寺院には、地元の画人・石井東江による作品があるが、ごくわずかな種類の絵具を混ぜあわせ、苦心して多彩な色を表現していた。
→《導かれる知見2》地方で発注・生産が完結するものの中には、金銭的・物質的に限られたリソースで工夫して制作されたものもあった。
《調査結果3》旧津軽藩領内の浄土宗寺院には、妙心寺御用を名乗る井上幸助の作品があるが、技法的にきわめて洗練されている。また、これを納める箱には京都から輸送した際のものと思われる注意事項が書かれている。
→《導かれる知見3》地方から京都へ「通信販売」が行われた。浄土宗寺院から注文を受けていること、俗名であることなどから、井上幸助は妙心寺の専属でなく、半ばフリーランスであった可能性がある。また、津軽からの発注にあたって仲介業者が存在した可能性がある。
《調査結果4》花鳥画などで高い評価を得ていた京都の絵師である石田幽汀や長澤蘆雪らの作品には、主に下部の動物の描写に独自の画風が見られた。
→《導かれる仮説4》注文主が、彼らの花鳥画・動物画などを好んだために涅槃図を発注した可能性が高い。また、ときに巨大な涅槃図にあって、彼らの技法はとくに下部の動物図において発揮されている。近世において住民が集まり涅槃図を礼拝する「涅槃会」は各地で行われ、祝祭的な雰囲気を呈していたが、その際に子どもでも見やすく親しみやすい下部の動物図にはとくに彼らの技法が期待された可能性がある。
今後の課題、見通し
以上のように、助成を得て広範の作例を調査し、いくつかの重要な知見を得ることができた。しかし、膨大に現存する近世の涅槃図全体にあって調査できた例はひと握りであり、したがって得られた知見はあくまでも局所的な例に過ぎない。近世涅槃図に関する史的な大流を掴み、描き手の多様性にまつわる所定の問題を解明するためには、引き続き作例の収集や技法の分析に努める一方、近世における宗教的、社会的、経済的状況についての見識を深めなければならない。
本研究で得られたきわめて豊富な情報を生かしながら研究を重ね、近い将来において学術論文としての発表を目指す。
2025年5月




