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研究助成

成果報告

若手研究者のためのチャレンジ研究助成

2023年度

中近世移行期における宗教勢力の変容―禅宗寺院における衣食住の観点から―

京都大学大学院文学研究科 非常勤講師
岩永 紘和

 本研究は、戦国期日本における宗教勢力の変容を衣食住の観点から考察することを試みたものである。宗教史研究において、戦国期は江戸期の宗教秩序につながる教団形成が図られたと評価され、宗教勢力を取り巻くパトロンや支配者たる戦国大名・統一政権との関係、地域社会における宗教勢力の役割、教団祖師の権威付けなどが検討されている。一方、人間の営為の根幹である衣食住の観点からも戦国期は、木綿の国内栽培や、江戸期の日本料理につながる消費の嗜好変化や輸送方法の進展、二階建て建築や茶室の流行など、興味深い時代と評価されている。ここから衣食住の大きな変化が宗教勢力のあり方や活動にどのような影響を与えているかを明らかにしようと考えたのが本研究の動機となる。
 衣食住の歴史は日本史に関心を持つ人々の多くが関心を寄せ人間の営為としても重要な論点だが、他分野につながる見通しが示せず、現状文化史の一コマとして描かれがちな傾向にある。史料を通じて具体的実証的に挙げた成果が、他分野の解明に大きく寄与できると主張できれば、衣食住研究のすそ野も広がると考える。
 本研究では、まず寺院所蔵文書や禅僧の言行録を記した語録史料など、禅宗関係史料を検討することで、贈答や儀礼における衣食住関係の品目の抽出・分析や、新規史料の発掘・紹介も含めた実態解明など基礎的事例の収集に努めた。
 事例収集の中で最も注目される知見が、甲斐木綿の利用事例である。天文24年(1555)春、臨済宗妙心寺派の飛騨禅昌寺(現岐阜県下呂市)から美濃関(現岐阜県関市)の寿盛という人物に「甲之地産精密の木棉/甲之綿子」(甲斐木綿)が贈られた記事がある(『明叔慶浚等諸僧法語雑録』)。これは、木綿研究の基本文献である永原慶二『苧麻・絹・木綿の社会史』や『山梨県史』も未検出の史料である。木綿はこの頃に国内栽培が本格的しつつあり、甲斐でも木綿栽培の兆候はすでに知られているものの、戦国期に「甲斐の木綿」と産地名を記した史料は先行研究でも明記されず、極めて貴重な史料と位置付けられる。さらに今回の事例は甲斐国外にいる飛騨国の禅僧が贈り手であることから、甲斐木綿がある程度流通に乗っていたことも示唆している。このような甲斐木綿の生産・流通を示す希少な史料だが、本研究の関心からするとそれが妙心寺派の史料から見出されるという点も注目される。本史料では、衣替えという日常生活に関わる目的で贈られており、ある程度妙心寺派禅僧の中で普及していたという観点から言えば、妙心寺派僧達の間では進んで国内産木綿も受容されていたと評価できる。こうした事例は、木綿だけでなく、美濃関(鍛冶で著名)の剃刀や、瀬戸物(陶器)、美濃紙などでもうかがえる。各地にいる禅僧同士の交流を通じて名産のやり取りがおこなわれ、禅僧間や保護する武家との円滑な関係を築く上で名産は積極的に利用されていた。生産・流通が本格化し始める物品に対しても妙心寺派は初期から主要な消費者となっていたのである。妙心寺派は戦国期に地方寺院を増加させ臨済宗最大規模となるが、こうした活動も、妙心寺派の勢力拡大に一定程度寄与した可能性が考えられる。
 また、衣については朝廷から与えられる最上級の僧服である紫衣を求める動きが幅広い宗教勢力に見えることが知られている。妙心寺派でも戦国期に地方寺院住持が紫衣を求めた事例は多く見出されるが、その契機となる永正6年(1509)の紫衣勅許は教団運営上どのような目的から求められたのか背景については検討の必要がある。財政面では、応仁の乱以前から荘園経営が限界に至っており、小規模なものも含む広範な階層からの寄付をはじめ多様な収入確保の試みがなされていた。ただし、これら収入は荘園欠失の補填に届かず、寄付も一過性にとどまる場合が多く、相当量の収入が恒常的に入る財政基盤が求められた。また、十五世紀後半には天皇への急接近も図られるが、それは財政基盤確保を図る中で少しでも他寺社と差をつけるためであり、この方針は継続していく。法系面では、妙心寺輪番制に伴う住持経験者が増加する中、立場を担保する権威として多くの禅僧に紫衣獲得の必要が生じた。加えて当該期は妙心寺住持を担う世代の交代期にあたっており、妙心寺派内の結束が求められる環境にあった。このように妙心寺の紫衣勅許獲得の背景を見ることで紫衣の流行とそれを求める妙心寺派の変容について考えることができた。
 以上のように、本研究では衣食住のうち主に衣の点で注目すべき成果が多く見出された。今後は食・住についても更なる検討が求められる。名産という観点では、食も同様の点から考えることができそうであり、住については建築物の立地や檀越となる武家の政治的背景も加味しつつ、更なる事例の収集に努める必要がある。また、禅宗寺院の事例として妙心寺派を中心に取り上げたが、こうした動きが禅宗諸派でどこまで普遍化できるのか、引き続き事例の収集に努めていきたい。

2025年5月
現職:大手前大学史学研究所 研究員