成果報告
2023年度
ジャン・ボダンと近代国際秩序の基礎
- 日本学術振興会特別研究員PD(受入機関:東京大学大学院法学政治学研究科)
- 秋元 真吾
問題意識・目的
われわれが当然視する国際秩序(主権国家体制)は、いつ、どのように形作られたのか。起源はしばしばウェストファリア条約(1648年)後の国際秩序に求められる。しかし、その知的原型は16世紀に準備されていた。では、当時、主権国家体制はいかなる問題への解決策としてどのように構想されたのか。
16世紀は欧州人が大規模な遠洋航海に乗り出し、彼らの世界認識が動揺した時代である。これには活版印刷術の普及が貢献した。情報の容易かつ安価な取得を可能ならしめ、欧州各国の歴史や制度史のみならず、新たに「発見」された世界各地の地誌を広く流布させたからである。また、交易活動の活発化に起因する経済の相互依存も意識され、相異なる秩序を包摂する知的枠組みの必要が認識されていった。他方、16世紀は危機の時代でもあった。宗教改革が身分秩序の動揺と重畳し、世紀半ば、フランスでは内乱の火蓋が切って落とされる。このとき、当時の統治階層や知識人階層を構成した人文主義者は、ギリシア・ローマの古典を拠り所の一つとした。なぜなら、そこには古代の経験—異なる文化圏との邂逅や内乱との格闘—が記録されており、比較を通じた事物の省察を可能にしたからである。本研究は人文主義者の一人、ジャン・ボダン(1529/30 -1596)に焦点を当て、主権論の完成者として名高いこの理論家が激動の時代、古典古代の著作に政治や法の基礎を探り、いかに新しい知的枠組みを構築しようとしたのかを探った。
先行研究・方法・内容
本研究は多くの先行研究とは異なり、ボダンの『国家論六篇』(1576年)を対象としない。内乱の激化を眼前に、ボダンが幅広い読者に向けて俗語(フランス語)で執筆したこの著作は、必ずしも主権論の理論的基礎を開示する訳ではないからである。むしろそれは、知的階層を対象にラテン語で執筆された『歴史を容易に理解するための方法』(1566年)に見出される。この著作は、しばしば誤解されるように単に歴史方法論を扱うものではない。政治や法の理論を歴史読解、あるいはそれを通じた現状認識の道具立てとして提供するものである。先行研究は、ボダンがこの著作で、ローマ法文中の「支配権imperium」の解釈を梃子に主権論を製錬したことを明らかにする。しかし、この理論がさらに当時の古事学者—古代の文物を収集・体系化し、碑文学や古銭学を生み出すと同時に、古代の政治制度について体系的著作を記した—との対抗関係の中で形成されていったことは十分に検討されない。いわんや、政治や法の理論と歴史の体系的読解との関係は等閑に附されたままである。
本研究は、ボダンが『方法』で引用する同時代のテクスト—とりわけ古事学者カルロ・シゴーニオ(1520-1584)の『古代ローマ市民権論』及び『古代イタリア権論』(1560年)—を参照し、ボダンとシゴーニオが用いる史料の解釈の相違に着目した。その際、共和政ローマの支配体制の認識の相違に重点が置かれた。以下を明らかにした。(1)ボダンの主権論は普遍的な政治学の主要な部品として構想されたこと。つまり、同時代の刊行物に現れる政治共同体を過去のものであれ同時代のものであれすべて「主権国家」の枠組みで把握することを可能にしたこと(主権国家併存体制)。(2)この「国家」なるものの理論的原型は、共和政ローマのres publica理解を通じて鋳造されたこと。重要なのは、このときボダンとシゴーニオの間で、キケローの『法律について』の一部の解釈を巡り、古代ローマの同盟都市体制の理解、とりわけ同盟都市民の位置付けが争点になったことである。シゴーニオとは異なり、ボダンにとって同盟都市はres publicaではあり得ない。彼の見るところ、ローマには一つのres publicaしか存在せず、これが自治権を凡そ喪失した類型の同盟都市の構成員(商業に従事するそれ)を市民として包摂した。かくして、市民は政治活動ではなく、商業を含む私的活動に従事する存在と定義される。(3)この意味でのres publicaが、主権summum imperiumを基軸とする政治制度を備えることで「国家」となる。これは、歴史上の内乱の経験への省察を経て、社会変動から超越的なものとして構想される。(4)主権国家を包摂する上位秩序は、普遍権力(帝権や教権)ではなく、人間に共通の理性の支配権に同定される。改めてキケローの『法律について』が鍵を握り、ここに現れる共同体理解が、理性の支配権に立脚した万民法秩序構想に繋がる。しかし、この秩序は各国の統治階層が統治の学知を共有することによってしか顕現しない。これが近代の国際秩序の原型となるというのが見通しである。
2025年5月
現職:フランス国立科学研究機構(CNRS)常勤研究員




