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研究助成

成果報告

若手研究者による社会と文化に関する個人研究助成(サントリーフェローシップ)

2023年度

マカオのカジノにおけるギャンブルの不確実性に対する身体性をめぐる人類学的研究

立命館大学環太平洋文明研究センター 客員協力研究員
劉 振業

【研究の動機・意義・目的】
 ギャンブルを対象とした研究の多くは、心理学や精神病理学の認識論に基づく量的調査であり、ギャンブル依存症などの病的賭博の発生要因の解明と治療法の開発を目的としている。しかし、このような研究では、ギャンブル実践の社会的・文化的文脈が十分に考慮されていないという問題がある。そこで本研究では、マカオのカジノにおける中国人ギャンブラーとギャンブルに関わる人々の身体に着目し、ギャンブルという不確実な事象をめぐる関係性を考察することを目的とする。
 本研究における「身体性」とは、ギャンブルの不確実性に対処する際に、身体がどのように不確実性と向き合うかを分析する視点である。例えば、中国人ギャンブラーの特徴的な行動とされる「しぼり」は、「身体性」の重要な事例である。「しぼり」は、カードの端を慎重に少しずつ覗き込みながら折り曲げる動作である。ギャンブラーの指先は震え、観客も固唾をのんで見守り、カードが表向きになると歓声や落胆の声が上がる。この行為は、中国人ギャンブラーにとって、ただの手の動きではなく、カードの点数を変更しようとする身体的儀式でもある。既存の心理学の研究では、この行為を確率変更ができない迷信的な行動と捉え、熱中感を高める「コントロールの錯覚」に過ぎないと指摘してきた。しかし、このような考察は、数理的思考の正当性を前提とした研究者側の「俯瞰的視点」に基づくものであり、行為者本人が考える「行為の有意味性」を軽視しているのではないだろうか。ギャンブルに関わる諸事象は、単なる確率的事象ではなく、文化的実践として捉え直す必要がある。

【研究成果や得られた知見】
 マカオのカジノにおけるギャンブルの身体的諸相を把握するために、本研究では2019年から2021年にかけて、ギャンブラー、ディーラー、場外の売春婦を含む多様な人々を対象に、計2年間にわたり緻密な調査を行った。具体的な事例をもとに、ギャンブル実践に関わる人々の身体間の相互作用と、ギャンブルの不確実性との関係性を詳細に考察した。昨年度には、この研究成果を著書としてまとめたが、内容が多岐にわたるため、以下に重要な知見を3点に整理する。
 第一に、「しぼり」は、単なる熱中感を増す迷信ではない。ミンが身体に宿るという命理信仰に基づく世界観・身体観のみならず、身体の動作や環境との相互作用によって強化される行為である。ミンは身体に埋め込まれ、不確実な事象を説明・対処する際に用いられる概念であり、マカオのカジノにおいては、中国人ギャンブラーにとってギャンブルは能力やミンによって察知・制御されるものと考えられている。
 第二に、ディーラーは、単なるゲームの進行役ではない。「しぼり」がゲームの結果を変えられると考えられているように、ディーラーもまた、カードを配る際に手でカードに触れることで、ゲームの勝敗に影響を与えることができると見なされている。そのため、カジノ側を代表するディーラーは、時にギャンブラーが「打ち負かす」べき相手として表象され、ギャンブラーとディーラーはギャンブルの場において対立し、テーブル上で動的な関係性を生み続けている。
 第三に、売春婦は、単なる性的なサービス提供者ではない。マカオでは、売春婦の身体は、性行為を通じて男性ギャンブラーの厄を引き受ける存在とされている。マカオの性産業において、売春婦の身体は「性的快楽が求められる身体」だけでなく、「厄祓いの手段としての身体」としても機能している。この効果は、ギャンブルと密接に結びついたカジノ都市・マカオにおいて、より顕著に現れる。

【今後の課題】
 本研究は、マカオのカジノにおけるギャンブルの身体的実践に焦点を当て、その多様な関係性を明らかにした。しかしながら、オンラインギャンブルの普及による影響については、さらなる分析が必要である。カジノの物理的空間とオンライン空間の「身体性」の違いが、ギャンブルの不確実性に与える影響を検討する必要がある。特に、オンラインバカラでは、実際の身体を介した操作が不可能であるにもかかわらず、手でカードを少しずつめくる「しぼり」の演出が組み込まれている。中国人ギャンブラーにとって、これは「身体の延長」と見なされているのかどうか、解明すべき課題が残っている。これらの要素を考慮することで、より包括的なギャンブルの民族誌が可能となるだろう。

 

2025年5月