成果報告
2023年度
西夏時期浄土信仰と仏教の中国化―熾盛光仏を中心に
- 神戸大学大学院人文学研究科 博士課程後期課程
- 施 園園
研究の動機、意義、目的
本研究は西夏時期の熾盛光仏作品を中心とし、作例における特殊な表現を明確にし、西夏の熾盛光法儀礼を詳細に記録した『聖星母中道法事供養典』と結合させ、儀礼実践が図像表現に与える影響を明らかにする。
現存最古の作例には唐の乾寧四年(897)の熾盛光仏並五星図があり、関連作品は明清時代に至るまで制作され、広範に分布している。11世紀以前の作例を俯瞰すると、熾盛光仏及び衆星宿神図には主に二つの形式が存在する。第一に、衆尊格が動的な巡行隊列を形成し、主尊熾盛光仏は持物を持たず説法印を結ぶ形式。第二に、画面構成が曼荼羅に近い静態的構造を取り、主尊が三昧印を結び掌中に法輪を托す形式である。西夏の作例は通常後者に分類されるが、主尊熾盛光仏の持物である法輪に焦点を当てた全く新しい図像要素が出現した。この特殊な図像要素は西夏以前の作例に見られないだけでなく、西夏地域以外の同時代作例にも同様の表現が存在しない。これは西夏王朝にのみ存在する特殊な表現なのか、その出現にはどのような意味が込められているのか。本研究では西夏作例に焦点を当て、11世紀から13世紀の多政権交流の文脈に位置付けつつ、まず作風・構成等の観点からそれらの制作年代を分析し基礎情報を整理する。次にинв. №7038西夏文刻本『仏説大威徳熾盛光仏諸星宿調伏消災吉祥陀羅尼経』版画を中心にして、経典儀軌や儀軌文献を援用しながら、儀礼規程・社会背景等の多角的視点から上記問題への解答を試みる。最後に敦煌莫高窟第61窟甬道南北壁の二幅の熾盛光仏図を対象に、星宿神形象の具体的分析を通じて結論の現実性を検証する。すなわち、西夏作例に見られる特殊な表現は、当時の熾盛光法儀礼の影響下に成立したことを実証する。
研究成果や研究で得られた知見
本年度の研究は主に西夏と元時代の関連作例を対象に展開し、具体的な進展は以下の三点を含む:
まず、一次資料取得のため、研究者は中国各地に散在する熾盛光仏作品の現地調査を実施した。特に敦煌莫高窟第61窟甬道南北壁の壁画、及び西夏博物館所蔵の宏仏塔出土二点の作例において、主尊持物の特殊表現が西夏時期の作例に普遍的に存在し、11世紀以前の作例には全く見られないことを改めて確認した。さらに『聖星母中道法事供養典』の西夏文原本が現在所在不明で画像資料も残存せず、ロシア学者ニコライ・ネフスキーが遺したロシア語訳本のみが存在する状況下、研究者はロシア語版を翻訳し、その中に記述された熾盛光仏像の表現を検証した。
論文執筆に加え、研究者は2024年5月に第68回国際東方学者会議に参加し、「熾盛光仏法の西夏における新たな発展について――図像分析を中心として」と題する発表を行った。これにより学界に本段階の研究成果を紹介するとともに、今後の研究を深化させるための多数の提言と助言を得た。
同時に調査対象を元代作品へと拡大し、西夏時期に出現した熾盛光仏図の特殊表現が後世にどのように伝播したかを明らかにした。特に杭州飛来峰第37龕の熾盛光仏九曜像は、元代現存作例の中で唯一西夏熾盛光仏の特殊持物と同一の表現を持つ実例であり、調査分析を通じてこの作例が西夏との確かな関連性を有することを解明した。
今後の課題・見通し
今後は元明時代における熾盛光仏図像の発展研究、特に山西地域の関連作例を重点的に推進する。新たな人物像の出現に加え、熾盛光仏が薬師仏と西東対応する固定的な組み合わせを形成している。この組み合わせの出現が熾盛光仏図像にどのような影響を与え、その影響がどの程度の地理的範囲に拡散したか今後の課題とする。
具体的な課題として、まず山西地域の寺院に残る熾盛光仏図像の系統的な調査が必要である。元時代から明時代にかけての図像変遷を追跡する上で重要な手がかりを提供すると考えられる。また、四川省剣閣覚苑寺における熾盛光仏と薬師仏の組み合わせが、地域的な信仰実践とどのように結びついているのかを解明するため、現地の儀礼文献や地方誌の分析を進める必要がある。加えて、西夏から元代への政治的・文化的連続性が図像表現に及ぼした影響についても検証を深化させる。例えばモンゴル帝国による西夏征服後、西夏仏教の儀礼や図像が元代の仏教芸術にどのように継承され、あるいは変容したかを明らかにすることは、ユーラシア規模の文化伝播の実態を理解する上で重要な意義を持つ。
最終的には、中国西北部から中部、さらには東アジア全域にわたる熾盛光仏図像の伝播経路をマッピングし、各時代・地域における図像の機能と信仰実態を総合的に把握することを目指す。これにより、仏教美術史における熾盛光仏信仰の位置付けを再考するとともに、多民族・多文化が交錯した中世東アジアの宗教文化交流の実像に迫りたい。
2025年5月



