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研究助成

成果報告

若手研究者による社会と文化に関する個人研究助成(サントリーフェローシップ)

2023年度

日本古典文学における中国夢遊物語のアダプテーション

総合研究大学院大学文化科学研究科 博士後期課程
虞 雪健

研究の動機、意義、目的
 本研究は、日本古典文学という豊穣な土壌において、中国文学、特に「夢」を主題とする物語群(夢遊物語)が、どのように受容され、読み替えられ、そして新たな創造の種となっていったのか、その複雑でダイナミックなアダプテーション(翻案・改作・創造的再解釈)の様相を明らかにすることを根本的な目的とするものである。中国由来の物語が、単に原作テキストへの忠実な翻訳や表面的な模倣に留まるのではなく、日本の各時代の受け手や創作者によっていかに自由な視点から捉え直され、ジャンルや文化の境界を越えて拡散し、時には原作の意図から大きく飛躍した独創的な解釈を経て、日本独自の文学作品として結晶化していったのか、その変容のプロセスを多角的に解明することを目指す。
 とりわけ、中国の夢遊物語として広く知られ、日本でも早くから受容されてきた『枕中記』(いわゆる「邯鄲の夢」の原典)や『南柯太守伝』(「南柯の夢」)といった作品群に焦点を当てる。これらの物語が、時代を下るにつれて、軍記物語、能楽、近世の浄瑠璃・歌舞伎といった演劇、仮名草子・浮世草子といった草子文学、さらには草双紙のような絵入り読み物に至るまで、実に多様な文学ジャンルにおいて、どのようにアダプト(適応・変容)されていったのか、その具体的な様態を詳細に追跡する。
 本研究の特色は、個々の翻案作品を個別に分析するミクロな視点に留まらず、それらを「アダプテーション」という、文化やジャンルを横断するマクロな視座から俯瞰し、相互に比較検討することにある。これにより、日本文学史における外来文化受容のあり方、その創造的な側面を、より立体的に浮かび上がらせることを試みる。さらに、文学テクストの分析という狭義の文学研究の枠組みを超え、関連する書籍の流通形態や印刷文化の発展、受容層における思想的背景、同時代の社会状況といった、より広範な文脈との相互作用の中で、アダプテーションという現象が持つダイナミズムを捉えようとする点に、本研究の学術的な意義が見出される。

研究成果や研究で得られた知見
 本年度の研究活動においては、博士論文の主題である「日本古典文学における中国夢遊物語のアダプテーション」という大きな枠組みの中で、特に近世後期の庶民的な読み物である黄表紙に焦点を当て、「邯鄲の夢」の主題がどのように受容され、特有の変容を遂げていったのかを探ることに注力した。これは、博士論文で展開している議論をより深化させ、具体的な事例研究を通じてその妥当性を検証するとともに、得られた成果の一部を学術コミュニティに向けて発信する機会となった。具体的には、2024年6月15日に東京大学本郷キャンパスにて開催された第十三次東アジア古典籍研究会において、「邯鄲夢主題在黃表紙文學中的衍生與創新」(邯鄲夢の主題が黄表紙文学においてどのように派生し、革新されていったか)と題する口頭発表を行った。
 この研究発表に向けて、黄表紙における「邯鄲夢」関連作品の調査・分析を集中的に行った。恋川春町作・画『金々先生栄花夢』(1775年)の刊行以降約三十年間にわたる黄表紙作品群を対象に、「邯鄲の夢」の主題がいかに模倣され、多様な要素(貧乏の悪夢、夢売り屋の登場、教訓的テーマ、怪談話、異国・異界めぐり、竜宮伝説など)と結びつきながら派生し、革新的なアダプテーションを生み出していったのか、その具体的な展開過程を明らかにした。とりわけ、山東京伝の作品群(『客人女郎』、『廓中丁子』、『盧生夢魂其前日』、『金々先生造化夢』など)や、寛政の改革期以降の十返舎一九(『初登山手習方帖』、『青海波竜宮』)、曲亭馬琴(『竜宮苦界玉手箱』)らの作品を分析することで、作者の個性や時代背景がアダプテーションに与えた影響を考察した。これらの分析を通して、黄表紙というジャンルにおける「夢」というモチーフの多様性と、その表現の豊かさについての知見を得た。この学会発表は、自身の研究成果を専門分野の研究者と共有し、意見交換を行う貴重な機会となった。

今後の課題・見通し
 本研究は中国夢遊物語の日本でのアダプテーションを扱ったが、網羅性には限界があり、今後の深化が不可欠である。課題として、『太平記』異文比較、能「邯鄲」の演出分析、絵画資料や浮世草子の詳細な検討、関連漢文小説の探究などが挙げられる。特に能楽研究の展開が期待され、アダプテーションの視点から能の創造性を解明すること、さらに「邯鄲」のみならず唐事能に関する実証的な考察を進めることが重要となる。

 

2025年5月
※現職:北京大学外国語学院 博士研究員