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研究助成

成果報告

若手研究者による社会と文化に関する個人研究助成(鳥井フェローシップ)

2023年度

大日本帝国における官僚体系―樺太庁官僚の人事の分析から

名古屋大学大学院人文学研究科 博士後期課程
水野 善斗

◆研究の動機、意義、目的
 本研究は、植民地官僚のうち、樺太に置かれた植民地官庁である樺太庁に勤務した官僚の人事の分析を通じて、大日本帝国の官僚体系を研究するものである。大日本帝国は、植民地での勤務を専門とするキャリア官僚の育成を行わなかった。これは、大英帝国などの他の植民地帝国と異なる特徴であった。そのためこの特徴に注目することで、日本近現代史研究が向き合ってきた「大日本帝国とは何だったのか」という問いに対して、近代の植民地帝国という世界史的視座から接近できるのではないかと考え、本研究の着想に至った。
 日本近現代史研究における植民地研究の領域では、他民族の抑圧・支配に対する関心から台湾・朝鮮に関する研究が特に進展している。植民地官僚についても、台湾総督府や朝鮮総督府の官僚に関する研究が盛んに行われており、彼らが大日本帝国の他民族支配をいかに支えたのかが明らかにされてきた。しかし前述した原則に鑑みると、大日本帝国の官僚体系における彼らの特異性が立ち現れる。両総督府は一万人を超える大規模官庁であったため、人事異動も各官庁の内部で完結でき、彼らはその地に定着する傾向にあった。つまり、本国・植民地との間の境が曖昧な官僚体系に目を向ければ、彼らはその構造的特徴からやや外れた存在だったと見なせよう。
 そこで本研究では、関東州の研究でこの点を考慮して呈示された、本国・植民地間の人事交流を重視する分析視角に注目するとともに、行政学で中長期的な広い視野から人事の検討を行う組織分析の手法として創出されたキャリアパス分析を採用することとした。では、なぜ樺太庁の官僚を取り上げるのか。その理由は主に、1. 関東州に置かれた植民地官庁と同様に樺太庁が小規模な植民地官庁だったため、本国との人事交流の必要性が高かった点、2. 本国との間での人事交流が樺太庁において特に盛んであった様子が先の関東州の研究において示唆されている点、3. 樺太という植民地自体が1943年に植民地の中で唯一本国への編入が達成されており、最も本国と類似していた植民地と言える点にある。これら3点から、関東州の植民地官庁よりも樺太庁の方が本研究との親和性が高いと考えた。今まで等閑視されてきた樺太庁の官僚を分析することで、大日本帝国の植民地帝国としての構造に関する新たな知見を開拓できるはずである。
 以上から得られる成果は、まず日本近現代史研究に資するものである。しかし、それだけに留まらず、世界の近現代史研究全体にも貢献できるのではないだろうか。大日本帝国の官僚体系を明らかにする本研究は、他の植民地帝国との国際比較を促すインパクトを有するはずである。さらに、国家運営に官僚機構が欠かせない状況が今も継続していることを踏まえれば、ポストコロニアルと言われる現代においても未独立の海外領土や、植民地統治の影響が残る独立諸国家などを中心に、本研究成果の寄与できる点があると信ずる。

◆研究で得られた知見・研究成果
 台湾総督府の官僚に関する研究において、大日本帝国では本国・植民地間の人事体系が未完成だったのではないかという指摘がされている。しかし先に言及したように、台湾総督府は相対的に自立性が高かった植民地官庁であった。そこで、樺太庁の官僚に注目して分析を行った結果、植民地から本国へと一定の連続性を維持した状態での人事の存在を提示することができた。また、ノンキャリア官僚の事例ではあるが、1929年に設立された本国の植民地管轄官庁である拓務省への異動を介した昇進ルートが樺太庁において存在したことを見出した。
 さらに、樺太庁のトップであった樺太庁長官に関して、就任以前に植民地で勤務していることが昭和期以降に重視されるようになることが明らかになった。これは、特に第二次世界大戦開戦後以降において、北海道庁長官と異なる様相を呈するものであった。樺太庁と北海道庁の両官庁はその組織的類似性がしばしば指摘されていることに加え、この開戦以降に樺太の本国編入や樺太・北海道を管轄する北海地方総監府の設置が行われていることから、こうした結果は植民地帝国の構造変容などの観点から注目すべき点ではないかと考えている。
 以上の知見の一部は、国際学会や国内学会にて口頭報告の形でまとめて報告を行った。

◆今後の課題・見通し
 今後は、図書館や文書館などのアーカイブズや古書店で収集した史料を読み込み、キャリアパスのデータの整理・分析に関する検討をいっそう精緻化させる。他の植民地帝国に関する研究も分析に組み込み、独立した個別論文として公表していき、最終的には、それらの知見を踏まえて研究成果を博士論文としてまとめ上げたい。
 長期的には、アジア・太平洋戦争敗戦後の日本における官僚体系や、植民地官僚らが中軸になった引揚者団体へも分析の射程を広げ、旧植民地帝国の観点を踏まえつつ、戦後の日本に関しても研究を行っていきたいと考えている。

 

2025年5月