成果報告
2023年度
ろう者の音楽経験:バリ島ブンカラ村にみる「遊びとしての音楽」
- 東京大学大学院総合文化研究科 博士後期課程
- 西浦 まどか
本研究課題は、インドネシアのバリ島にあるブンカラ村におけるろう者の音楽やダンスとの関わりについて、「遊び」の観点から分析するものである。ブンカラ村は、遺伝的にろう者の出生率が高いことで知られ、その結果独自の手話言語が用いられているほか、ろう者によるダンス公演が行われている。申請者はこれまでブンカラ村にて文化人類学的な長期フィールドワークを断続的に行い、現地において「ろうであること」がどのように位置づけられ、どのようなコミュニケーションを行っているのかを研究してきた。本研究課題はそうしたこれまでの調査を基礎としながらも、これまでは論じてこなかった新たな論点である「遊び性」と音楽やダンスに着目しながら、現地の手話コミュニケーションとダンスインタラクションを分析しなおす試みである。これまでの採択期間に申請者は以下の3点の研究活動を行った。第一に、議論の背景となるフィールドの民族誌的情報の整理を行い、ブンカラ村のろうの人びとがどのような生活をし、どのような社会文化的な環境に置かれているのか、そこで「ろうであること」はどのように位置づけられているのかを、改めて整理した。調査の結果、村やバリ島、そしてインドネシアの国の中での位置づけだけでなく、観光や欧米のろう者の政治運動の歴史に関わる国際的な文脈との関連で議論することの重要性が浮かび上がってきた。このことはとくに、Covid-19 パンデミック時に、村のろう者コミュニティが観光コミュニケーションの戦略をクラウドファンディングに持ち込んだ事例を、新たに分析した結果でもある。本研究では第二に理論研究として、遊びを単なる余暇ではなく社会文化を駆動するものとしてとらえ直してきたヨハン・ホイジンガやミゲル・シカール、西村清和らの遊び論や、インタラクションにおける質的経験の美的側面の文化的影響を論じてきた、ニコラス・ハークネスやリリー・チュムリー、コンスタンティン・ナカシスらのコミュニケーション研究などを文献調査した。その結果、形式としての「〇〇遊び」と「遊び状態」を区別し、ブンカラの人びとがどのように音楽で、形式上ではなく質的経験の状態として、遊んでいるのかを分析することが重要なのではないかという考察が導かれた。そして第三に具体的な議論として、ブンカラ村のろう者たちの「音楽」との関わりを事例ベースで分析した。まず申請者は、これまでの調査で得られたフィールドデータのうち、ブンカラ村のろう者が踊りや歌、楽器演奏と関わった文脈を抽出した。その結果、「音楽に乗れる者」として儀礼にて伝統舞踊・ガムラン演奏をする聴者と、「音楽に合わせてもらう者」として福祉・メディア取材・観光のステージに立つろう者というように、聴者とろう者とで既存レパートリーの踊り手・演奏者となる文脈が大きく異なること、その一方で日常の遊びや饗宴の文脈では、(ときに聴者と混ざりながら)ろう者はしばしばリズミカルに踊りを楽しむことが明らかになった。現在は、この3点の研究結果を横断しながら、ブンカラ村でろう者の人びとがどのように(状態として)遊んでいるのかについて研究を続けている。とくに福祉や観光の「ろう者ダンス」ステージにおける「観客参加コーナー」のインタラクション性、ろう者が日常で遊びとして踊りだすときの社会文化的な文脈、そして村のろう児がインドネシア国歌の手話歌版をうたいだした事例の3つの事例群にフォーカスして、分析を進めている。研究成果の一部は、以下の機会で発表された。まず 2024 年 11 月 16 日にインドネシア研究懇話会第 6 回研究大会にて、ブンカラ村における「ろうであること」の位置づけについてインドネシア地域研究の観点から発表した。また、2024 年12 月 7 日には GASP-EES 国際シンポジウム"Crisis of Well-being and Well-being in Crisis across Borders"に参加し、Covid-19 パンデミック下のブンカラ村の状況と対応を、観光コミュニケーションの観点から発表した。そして 2024年 12 月 21 日にボストン日本人研究者交流会日本支部にて、現在判明している範囲のことについてブンカラ村における遊びとしての音楽のあり方について講演を行った。2025年3月6 日に日本発達心理学会第 36 回大会にて、ブンカラ村のろうの少女が友人との遊びの文脈で国歌の手話歌版を「うたった」事例を軸に「遊びとしての手話歌」について発表した。また、研究成果を総合したものを、『文化人類学』への投稿論文として、執筆中である。
2025年5月
※現職:東京大学大学院総合文化研究科 学術研究員



