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研究助成

成果報告

若手研究者による社会と文化に関する個人研究助成(鳥井フェローシップ)

2023年度

「価値」をつくる実践――地方小劇場演劇の分析を通じた「価値構築モデル」にむけて

立命館大学大学院先端総合学術研究科 一貫制博士課程
柴田 惇朗

 芸術活動を継続するために必要なものとはなにか。それは、究極的には自らの活動に「価値がある」と示すことである。しかし、芸術における「価値」は客観的に測定できるものではなく、多くの場合、評価基準自体が不明確な中で芸術家たちは活動を続けている。本研究は、とりわけ制度化の不十分な界において、芸術家がどのようにして自身の活動の価値を構築し、他者と共有しようとしているのかを明らかにするものである。具体的には、商業的成功や制度的支援から距離をおかれることが多い「地方の小劇場演劇」を対象に、演劇人の語りや活動の観察を通じて、価値をめぐる実践の諸相を明らかにすることを目的とする。

 これまでにも芸術社会学には、価値をめぐる種々の議論の蓄積がある。たとえばP・ブルデューは、芸術的価値は「芸術界」という相対的に自律的な空間における参与者間の闘争、そしてその闘争を通じてある程度客観性を持って成立する制度によって定められると論じた。例えば、(とりわけ英国の)演劇においてシェイクスピアの書作は「カノン」として制度的価値の中心に君臨するが、これも16世紀中頃の「演劇界」において名声を得て以降、演劇や文芸教育などの制度に組み込まれることで確立したものである。

 しかし、明確な価値基準が定まっておらず、制度的枠組みが未発達な芸術界もあり、そのような界における実践の諸相は未だ研究が不十分である。本研究は、その代表として日本の小劇場演劇を捉えている。小劇場演劇は公的支援や教育機関との接続が弱く、社会的な承認の仕組みが未整備である。そのため、多くの劇団は多元的なアイデンティティをそのうちに抱え込み、佐藤郁哉(1999)が指摘したように界内の状況が「タコツボ化」していく。本研究では、まさにこのような「自律的とは言えない」芸術空間において、演劇人がどのように既存の価値の枠組みを参照しながらも、自らの実践を通じてその再定義を試み、自身の活動を継続しているかを明らかにしようとした。

 本研究はそのため、京都を拠点とする「パフォーミングアーツグループS」の活動への長期参与観察(2017年〜現在)、および京都小劇場界で活動する演劇人約50回を超える演劇人へのキャリア・生活史インタビューなどの質的調査を中心に進められている。また、制度や支援の変化を理解するため、各種アーカイブ資料の通時的分析も行っている。

これらの調査を通じて、以下の成果が得られている。

1. 「集合モデル」概念を中心とした芸術生産主体の変化の分析
 グループSの創作実践の観察を通じて、演劇作品の創作主体が個人ではなく集団として表明される実践のメカニズムを明らかにした。この変化は単なる組織運営の効率化ではなく、「みんなでつくる」ことが創造的枯渇の回避や倫理的正当化の手段として機能していたことを明らかにしている。つまり、創作の「価値」を構築する上で、集団性が新たな正統性の根拠となっていた。(『ソシオロゴス』48号掲載の論文を参照)

2. 小劇場演劇における「芸術活動の周辺領域」の位置づけに関する分析
 京都の小劇場演劇人は、演劇の上演や創作といった中核的な活動に加えて、企業や教育機関でのワークショップ実施など、多様な活動を展開している。これらは一見する周縁的営みに見えるが、実際には演劇人がキャリアを維持し、自らの表現活動の正統性を表明し、活動を継続する上で不可欠な実践であった。(論文投稿中)

3. 小劇場界の「業界化」の分析
 「京都舞台芸術協会会報」の分析を通じて、ある小劇場界が「タコツボ」的状況からいかに業界化を志向して活動を編成したのかを分析した。そこには協会という枠組みを通じて政策的交渉や資源の獲得を行い、自律的な協働ネットワークを築こうとする姿勢が見られた。また、協会報には京都の小劇場演劇界が「包摂」と「序列化」という相反する論理の間で、慎重にバランスを取りながら共同体としての輪郭を形成していく過程が現れていた。(論文投稿中)

 本研究の意義は、こうした実践の記述を通じて、制度的枠組みに依存しない「価値」の構築過程を描き出した点にある。制度や市場における評価が不在であっても、芸術家たちは手持ちの資源やローカルな関係性などを総動員して、自らの活動の価値を構築・表明している。このような動態を丁寧に追うことで、芸術の「価値」をめぐる既存の理論を補完しうる新たな視座が得られたと考える。

 今後の課題としては、得られた知見を「価値構築モデル」として理論的に統合することである。例えば、制度化の度合いや地理的条件の違いが価値の構築に与える影響について、さらなる比較研究が必要である。現在、韓国地方都市の小劇場演劇との比較調査を計画中であり、より広範な芸術活動のあり方に通じる理論の構築を目指したい。

 

2025年5月