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研究助成

成果報告

若手研究者のためのチャレンジ研究助成

2019年度

近代中国における日本学─知日派集団の組織的日本研究・啓蒙活動に着目して

東京大学大学院総合文化研究科 博士後期課程
高柳 峻秀

研究の動機・目的・意義
 筆者は従来から中国人の日本観を「親日」と「抗日」の枠組みで論じることに疑問を抱いていた。事実、近代以来、中国では多数の知日派が冷静な日本理解の必要性を強調し、日本研究に従事してきた。中でも1930年代以降の中国では、それまで主流だった個人主体の研究活動に加えて、日本や日本語を専門的に研究する集団(日本研究団体)が相次いで登場した。国民党、共産党、対日協力政権などの政治勢力と人的・資金的に結びつくこともあったこれら日本研究団体は、個人よりも広範な調査研究や啓蒙活動を実施し、児童や青年から知識人、指導者に至る幅広い層に対して日本に関する知見を提供した。中国人の日本観、中国知日派の役割、中国における「地域研究」の形成と発展を考察する上で、日本研究団体の活動に着目する必要がある。
 しかし、こうした日本研究団体については、知日派個人に関する研究と比べ史料上の制約などから研究が不足しており、多くの基本的事実すら未解明の状況にある。そこで、本研究は日米中台で収集した史料を活用し、近代中国における日本研究団体について、その登場背景から研究の特徴、日中関係に及ぼした影響、戦後とのつながりを解明する。換言すれば、本研究は中国における「知日」という視点から中国近現代史、日中関係史を捉え直す試みである。

研究成果
 従来、「抗日」のための日本研究という前提から、1931年9月の満洲事変を中国における日本研究ブームの起点とする見解が多かった。また、1920年代後半から満洲事変に至る日中関係は、ナショナリズムが高揚する中国とそれが在華権益に及ぼす影響を警戒する日本という構図で理解されてきた。これに対し、本研究は早くも1920年代末から中国都市部の青年層を中心に、留学、出世、商売、新知識学習など「抗日」に限らない実利的な動機から日本研究や日本語学習が盛んに行われていたことを明らかにした。日本研究団体は、中国各地で日本に関する知識への需要が高まっていたこの時期に登場した。例えば、1929年に東京で劉百閔ら留学生が日本研究会を、1930年に上海で留学未経験の陳彬龢が日本や欧米留学経験者と日本研究社を組織した。いずれも盲目的な日本賛美や批判を戒め、科学的かつ冷静な日本研究を標榜した。また、中国の日本研究が日本の「支那学」と比べて圧倒的に遅れていることを強調し、この格差が両国の力関係にも影響しているという危機感を表明した。両団体は機関誌『日本』『日本研究』や叢書を通して日本の各分野に関する論説を発表したほか、日本の各種制度や新刊書情報を紹介するなど、日本に関する知識や情報を包括的に発信した。
 日本研究団体の活動は日中両国で注目を集めた。例えば、国民政府および国民党要人は資金提供、機関誌への寄稿や出版物の大量購入などを通じて日本研究団体を支援した。教育部も日本研究社の『日本故事』を小中学校の副教材として採用することを許可した。また、日本側では駐上海総領事館が『日本研究』を購読したほか、東洋史学者の中山久四郎などが同誌の研究水準を高く評価した。だが満洲事変以降、中国における日本批判の増加に伴い、日本側では中国の日本研究を否定的に捉える見方が強まっていった。
 日中戦争勃発後、内陸の重慶に拠点を移した国民政府にとって対日情報の収集は急務であった。従来、戦時中の対日情報収集については、特務機関、日本人協力者、国際問題研究所、および鹵獲資料や通信傍受が注目される一方、外交部の役割は看過されてきた。これに対し、本研究は1938年に駐日公館から重慶に引揚げてきた日本留学出身の外交官たちが外交部亜洲司(のち亜東司)で日本研究に取り組み、その成果を政府機関や要人に定期的に提供していたことを明らかにした。彼らは外交部のネットワークを駆使して香港、インドシナ、ソ連などから日本国内で流通していた新聞、雑誌、年鑑、書籍および同盟通信社記事を収集したほか、米国大使館や国内各機関との資料交換を行なった。亜洲司はこれらの資料をもとに日本の政治、経済、外交および対日協力政権の動向を『敵偽紀要』などにまとめ、約70の政府機関や要人に機密資料として配布した。対日戦勝利を機に上述の活動は一旦終了するものの、業務に携わった楊雲竹、林定平、孫秉乾などは駐日代表団や駐日公館の職員として戦後も対日業務に従事した。本研究が明らかにしたことの1つは、日本留学出身の外交官たちの戦前と戦後をつなぐ日本研究活動であった。

今後の見通し
 本研究では主に国民党系の日本研究団体を扱った。今後は共産党や対日協力政権と関係を有した日本研究団体にも検討範囲を広げることで、日中戦争期における各政治勢力と日本研究の特徴を明らかにする。また、このような近代中国の日本研究に関する人的・思想的遺産が、戦後の中国と台湾にどのように継承されたかについても明らかにしていく。

 

2021年5月

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