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研究助成

成果報告

若手研究者のためのチャレンジ研究助成

2019年度

キャラクターの権利─存立条件としての著作権、その変遷と現在

東京大学大学院情報学環 特任研究員
鈴木 麻記

 イメージとしてのキャラクターを自分のものにしたがる欲望は、どこに位置づけられるものなのか。イメージと、物質的支持体としてのメディアとの1対1の関係を基盤にした、従来の所有の限界はすでに露呈したにもかかわらず、キャラクターに執着する欲望がやむことはない。
 ソーシャルゲームでは、気に入ったキャラクターを入手するために高額な課金を定期的に行う人々がいる。このゲームのビジネスモデルは、一部のユーザーに「ガチャ」という仕組みを通じて、高額の課金を促すというものであるが、2012年にこの「ガチャ」の違法性が社会問題化したことで、形のないものに課金をくりかえす人々の存在も顕在化した。人々が課金をする要因として、従来の研究では自己顕示欲や競争心を満たすために強くなろうとする・ランキングをあげようとするなど、他者とのかかわりから生じるものが挙げられているが、ここでは、むしろ自閉的にキャラクターに執着する人々に注目したい。
 このキャラクターとは、スクリーンショットをとれば誰でも無料で手に入れることができる絵柄にすぎないものであり、自分だけのものにすることは現実的に不可能である。この不可能性も、自らの行為の経済的非合理性も自覚しながら、それでも人々は気に入ったキャラクターを「俺の嫁」と称し、多額のカネを投じそれを得ようとする。こうした欲望はどこに位置付けられるのか。これを分析することが本研究のねらいのひとつである。
 ここで「所有」という言葉を用いているのは、従来、キャラクターイメージなどの無体財の権利(知的財産権)は、有体財を対象とする所有権とのアナロジーで考えられてきたためである。しかし無体財は、複数人で使用し共有することが可能で、かつその使用によって消費されていくことがないものであり、またその管理、つまり使用の範囲を限定することも難しい。この無体財を有体財のように扱うことには無理がある。それにもかかわらずこれまで知的財産権制度が所有権との類推によって機能してきた理由は、これまで無体財は何らかの形で物質的支持体としてのメディアに固定しないと、流通することが困難だったからである。この固定的な関係によって無体財をモノのように所有することが可能となってきた。
 しかしこうした関係はすでに機能しなくなっている。レフ・マノヴィッチがコンピュータ登場以降のニューメディアの原則のひとつとして可変性を挙げたように、イメージと支持体は切り離された。可変性を除外できないイメージのすべてを事前に登録し、排他的権利を設定することは不可能である。
 イメージを所有することの根本的な不確定性を前にして、それでも人々はキャラクターを自分だけのものにしたい、占有したいと思っている。さらに言えば、ミッキーマウスやピカチュウの例を挙げるまでもなくキャラクタービジネスは隆盛で、キャラクターの所有権(「商品化権」)に基づいた契約は広く普及しており制度的にも盤石に見える。しかしこの「商品化権」は、法の規定があるものではなく、実際は著作権・意匠権・商標権など複数の権利の利用許諾を内容とする曖昧なもので、そのことはキャラクタービジネス成立当初から指摘され続けてきた。だとすれば現在の我々のキャラクターを所有したがる欲望は、擬制としてのキャラクター所有権の見かけ上の盤石さではなく、その揺らぎにこそ根本的な要因があるとみるべきではないのか。
 ここで重要なのは、キャラクターの権利について、法専門家と非専門家のあいだで微妙な認識のズレがあることだ。最高裁は、1997年、「ポパイ・ネクタイ事件」判決に際して、キャラクターに独立した著作物性は認められないとする立場を明確にした。キャラクターは無数に変形しうるものであり、こうした首尾一貫性のないものを創作的表現と認めることはできないとする見解だ。キャラクターのようなものまで著作物性を認めてしまうと、著作権概念が拡散しその価値が低下し、従来の権利者を保護できなくなる、著作権業界全体が縮小するという考えが背後にはある。
 一方、非専門家である業界関係者は、自分たちが著作権の範囲外のものにも排他的権利を設定しているということを自覚しつつも、この契約慣行を維持していこうとしていた。法理では説明ができない契約慣行について業界関係者は、「ライセンスを受けてお金を払いたい」という存在を一般化することで、正当化しようとする。そこで根拠とされたのは「人のつくったものを黙って使ってはいけない」という道義的な考えだった。

 キャラクターを社会のなかで物質化させていく根拠は「商品化権」である。この「商品化権」を成り立たせる条件とはキャラクターに著作権を適用しないことにほかならない。そしてこれを補うものとして「道義的な考え」があった。このような相補的な関係のなかで、キャラクターの所有とその移動は成立している。そして私たちはこうした関係を維持することを求められている。
 ソーシャルゲームなどにおいて、キャラクターを自分のものにしたいと多額のカネを投じる人々は、こうしたキャラクターを所有することの不確定性への応答のひとつだと考える。つまり、キャラクターがすでにつねに変更可能で、対応した物理的支持体を持たない、つまりこれを、有体財のように所有することは不可能であり、相補的な関係のなかでのみこれが成立するということに対しての、不安の表出なのではないか。
 この不安は、物理的支持体から切り離されたイメージは、その所有が不確定なものとなることへの、デジタル化以降の不安を先取したものと捉えることができるだろう。W.J.T.ミッチェルはイメージとはメディアのなかにあってとらえがたく、動き回り、ときにはメディアそれ自体を形成していくような不気味なものだとしたが、デジタル化以降、こうしたイメージを補足すること(物質化し、所有とその移動を成立させること)の不確定性はますます増大した。
 複製も変更も共有も容易なイメージは、カネをださなくても所持はできるが、カネをどれだけ出しても占有できない。であるからこそ、彼らは「所有関係の反転が起こらないような所有関係、つまりは絶対的な所有」を夢想し、その対価としてカネを払いたがるのではないか。自閉的になることでしか、「絶対的な所有」はもはや達成しえないのだ。

 

2021年5月

現職:共立女子大学・東都大学 非常勤講師

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