サントリー文化財団

menu

サントリー文化財団トップ > 研究助成 > これまでの助成先 > 考古資料を用いた色への認識の解明――平安時代の陸奥国を舞台に――

研究助成

成果報告

若手研究者のためのチャレンジ研究助成

2018年度

考古資料を用いた色への認識の解明――平安時代の陸奥国を舞台に――

東北大学大学院文学研究科 博士課程前期2年の課程
舘内 魁生

研究の背景と目的
 冠位十二階や「襲の色目」など、古代から日本人は生活に多くの色を取り入れてきた。一方、色の嗜好は国や文化によって異なることが知られており、色に対する意識の違いは文化を考える重要な情報源となりうる。本研究は、平安時代の人々の色への意識とその変化を考古資料から明らかにし、色から見た新たな文化史の提示を試みる。

分析の方法と結果
 本研究では、政治的に重要な場所である国府や居館とその周辺集落などで出土する同時期の土器の色を比較し、重要な場所で好んで用いられる色の有無を調べた。対象としたのは、平安時代中頃の10世紀と平安時代末期の12世紀前半の陸奥国の遺跡である。色の計測には、地層や工業製品の色調を計測する機器(ミノルタSPAD-503三刺激値タイプ)を用いることで、定量的な色の把握を可能にした。
 結果、10世紀までの国府である多賀城①②と山王遺跡(国司の館で政治的に重要な場所)では白っぽい色が多く、逆に他の遺跡では赤っぽい色が50%以上を占めた(図1)。遺跡ごとの色の組成をもとにクラスター解析を行った結果でも、多賀城①②と山王遺跡はそれ以外の遺跡と区別できる(図2)。一方、12世紀前半の平泉柳之御所遺跡(国府に次ぐ政治的拠点)とその周辺遺跡の比較では、柳之御所遺跡内部の方がやや赤っぽい色が多い(図3)。クラスター解析でも、柳之御所遺跡内部か外部でクラスターが分かれた(図4)。

得られた知見と今後の課題
 分析の結果、政治的に重要な場所と考えられる遺跡では、特定の色の土器が出土する傾向があると分かった。土器は遺跡外で生産され供給されたことから、土器を遺跡に持ち込む前に「検品」があり、色による土器の選別があった可能性がある。さらに、10世紀の多賀城と12世紀の柳之御所遺跡で色の傾向が変化しており、色の嗜好の時間的な変化があったと考えられる。ただし、平泉では12世紀後半に京都の影響を受けた白っぽい土器を作り始めるため、さらに色の趣向が変化する可能性がある。一方、多賀城で白っぽい土器を使用していた背景には、当時京都で用いられた「白色土器」の影響が考えられる。白色土器は文字通り白い土器で、宮中の儀礼に用いられた。この儀礼は地方にも波及したとされ、多賀城でも白色土器を意識した白っぽい土器が好んで儀礼に使われたと考えられる。
 以上、本研究では色による土器の選別の可能性を指摘し、平安時代の色の嗜好に迫ることができた。今後は、文化の一側面として色の嗜好がどのように共有されたのかを、韓半島や中国とも比較しつつ、長期的な視点から考えていきたい。
 なお、本研究ならびに成果の公表に関して、以下の個人・機関から格段の御配慮と御協力を賜った。記して御礼申し上げる。東北大学学際科学フロンティア研究所田村光平助教、岩手県教育委員会、岩手県立博物館、公益財団法人京都市埋蔵文化財研究所、東北大学埋蔵文化財調査室、東北歴史博物館ならびに宮城県多賀城跡調査研究所、仙台市教育委員会、多賀城市埋蔵文化財調査センター、平泉文化遺産センター、宮城県教育委員会

図1 遺跡ごとの色の組成(多賀城)(濃い色ほど赤っぽい)

図1 遺跡ごとの色の組成(多賀城)
(濃い色ほど赤っぽい)

図2 遺跡ごとのクラスター(多賀城)

図2 遺跡ごとのクラスター(多賀城)


図3 遺跡ごとの色の組成(平泉)

図3 遺跡ごとの色の組成(平泉)

図4 遺跡ごとのクラスター(平泉)

図4 遺跡ごとのクラスター(平泉)


 

2020年5月

現職:東北大学大学院文学研究科 博士課程後期3年の課程

サントリー文化財団