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研究助成

成果報告

人文科学、社会科学に関する学際的グループ研究助成

2018年度

保育の実証研究に基づいた行動経済学による共同体メカニズムの研究

慶應義塾大学大学院経済学研究科 教授
大垣 昌夫

日本を筆頭に多くの国々で少子高齢化が進むなかで、女性の社会参画のために、保育サービスの重要性が増している。経済システムの背後にあるメカニズムを大きく分けると、公共メカニズム、市場メカニズム、共同体メカニズムの3つが考えられるが、子どもは市場メカニズムを一人では有効に使えない。このことを考えると、共同体メカニズムをどのように他の2つのメカニズムと混合させていくことが社会にとって望ましいかを研究する必要がある。

本研究では、共同体メカニズムを、各共同体メンバーの利己的な部分の効用の最大化以外の動機(利他性、応報性、使命感など)からの行動によって働くメカニズムと定義した。本研究では特に、大学や病院が保育業務を営利企業やNPO に委託する際の契約に注目した。実証研究の方法としては聞き取り調査による質的な分析アプローチを採用した。

聞き取り調査によると、A大学の2008年からの営利企業への委託では大学が受託企業に継続雇用と待遇維持を要請してきた。これに対し、京都市立病院の営利企業への保育の委託では、2011年の継続雇用条項を含む契約の下では保育業務の質が高かったが、2015年に条項がない契約に変更すると、保育士全員の退職や、保育士の一斉交代による子どもたちの身心の健康状態の悪化などが生じ、保育の質が低下した。B大学は2008年からNPO法人J会に業務委託し、2017年にはB市から事業所内保育所として認可を受けた。

これまでのA大学とB大学での聞き取り調査による実証経済学の新しい知見として、3点がある。第一に、保育委託の入札・公募がある場合、委託側が仕様書や契約などで保育士ら職員の雇用継続と待遇維持を受託側に要求することで、ある程度保障することができるということである。第二に、保育委託で保育の質を保っていくためには、保護者の横の繋がりと時間を通じた縦の繋がりを含む共同体の役割の重要性があることである。第三に保育委託で入札や公募によって委託先を選ぶと公平性や経済効率性が得られるという考えが大学関係者に見られる。

第一の雇用継続と待遇維持を要求することに「ある程度」の効果があるというのは、それのみでは効果が完全ではなく保育の質が急激に下がる危険性が残るためである。A大学は、保育士らの雇用継続と待遇維持を要求することにより、京都市立病院のケースよりはるかに高い保育の質を保っている。しかし、同時に、この効果は完全ではなく、入札などで慎重に委託先(営利企業)を選んだとしても、その委託先企業が別の企業に買収されてしまう場合などに問題が生じる可能性がある。

第二の保護者の共同体については、契約更改の際などに保育者全員の入れ替えなどによる保育の質の急激な低下が起こりえる。この危険を保護者たちが理解して注意しており、また、この理解と注意が保護者会長らが代わっていくときに受け継がれていることが、共同体の維持という点で重要である。また、問題が起こる可能性があるときには同様の経験をした保護者OBたちから助言を受けることができれば望ましい。さらに、普段から大学側に保育への支援に対して感謝状を出すなど対話的関係を構築していくことで、保護者と大学の間で共同体メカニズムがより円滑に機能する。

第三の保育委託で入札や公募によって委託先を選ぶと公平性や経済効率性が得られるという考えは、共同体の構築には保育者たちの関係特殊投資が重要であるので、入札や公募が経済効率性や機会の平等のために望ましいとは経済学的には言えないため、誤認である。例えば入札や公募では新しい委託先が選ばれる可能性があるので、将来に保育者が大きく入れ替わる可能性があると保育者が関係特殊投資を行う誘因が阻害されるし、実際に入れ替わると機会の平等に含まれる「努力が公平に報われるべき」、という原則も達成できないからである。誤認から質の高い保育を提供している保育共同体を破壊してしまわないように、入札や公募には慎重な検討が望まれる。

2019年8月

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