サントリー文化財団

menu

サントリー文化財団トップ > 研究助成 > 助成先・報告一覧 > 植民地インドにおける法の支配の比較研究

研究助成

成果報告

若手研究者のためのチャレンジ研究助成

2016年度

植民地インドにおける法の支配の比較研究

首都大学東京都市教養学部助教
稲垣 春樹

研究の動機・意義・目的
 本研究は、19世紀前半のイギリス領インド植民地における法の支配に関する歴史研究である。法の支配(裁判所による政府の抑制)は、植民地における支配=被支配関係を考察するための重要な論点である。なぜなら裁判所は、支配の道具であると同時に、インド人による政府への抵抗の手段でもあったからである。このため現在、植民地における政治と法の関係についての研究が盛んになっている(代表的な研究者はLauren Benton, Elizabeth Kolsky, Jon Wilsonなど)。しかし現在の研究は理論や表象としての法の問題に関心を集中しがちであり、法の支配がどのような歴史的条件において実現したのか/しなかったのか、またそれが統治制度の変容にどう影響したのかを歴史学的に検討する視角を欠いている。このような研究状況を踏まえて、本研究は、ベンガル、マドラス、ボンベイの主要三管区において、政府と裁判所の関係が政治問題化した複数の事件について検討することで、19世紀前半のインドにおける法の支配の歴史的条件とその制度的帰結について包括的に明らかにすることを目指した。

研究成果と新たな知見
 本研究の成果として、2本の論文(査読あり)が刊行された。①稲垣春樹「専制と法の支配―1820年代ボンベイにおける政府と裁判所の対立―」『史学雑誌』127編1号(2018年1月)においては、1820年代のボンベイにおける司法と行政の対立について、様々な観点から包括的に考察しつつ、特に両者の対立が最高潮に達した1828年の人身保護令状事件の背景、経緯、帰結について論じた。その結果として、多元的な植民地法制に内在した管轄権問題が、特定の地域史的な条件において現地行政官に危機として解釈されることで統治制度の専制化に帰結していったという重要な知見を得ることが出来た。②稲垣春樹「令状、騒擾、税金滞納者―19世紀前半英領インドにおける現地人の司法利用と行政官の危機意識―」『歴史学研究』973号(2018年8月)においては、インド人の積極的な裁判所の利用がイギリス人行政官に問題視された事例を集めて検討することで、インド人の社会的・経済的な活動が政府によって政治的な危機として解釈されていたことを示した。これらの研究成果は、世界的に研究が盛んとなっている植民地主義と法の関係について、比較的研究が手薄になっているインド植民地を事例として新知見をもたらすものである。
 また、現在2本の論考を執筆中であり、論文(査読あり)として投稿するための準備を行っている。③「19世紀前半イギリス領インド植民地における法、主権、間接統治」(仮)では、マドラス管区およびベンガル管区において、イギリス植民地国家がインドの独立君主国との条約をめぐって裁判所との間で経験した紛争について分析している。これは、インドにおける法の支配の比較研究としても、また、現在有力となりつつある国際法の形成と植民地主義に関する研究としても、新知見をもたらすものであると考えている。④「19世紀前半イギリス領インド植民地における都市警察改革―ボンベイ市とマドラス市を事例として―」(仮)では、マドラス市およびボンベイ市の警察機構改革をめぐって生じた植民地国家と裁判所の対立について検討することで、政府、裁判所、イギリス人商人、インド人商人など複数のネットワークの対立・協調関係の変化から18~19世紀転換期における植民地支配の性質の変化について論じている。これによって、法の支配という観点から、植民地都市史研究に対して貢献できると考えている。  
 

今後の課題・見通しなど
 今後は、上記③、④の論文の投稿・査読・修正を完了することが第一の課題となる。そのうえで、今後の大きな課題として、本研究で得られた知見を、英領インドを超えた比較史に広く開いていく作業が必要となるであろう。そのための第一歩として、現在、科研費の交付を受けて、英領カリブ海西インド諸島を対象とした事例研究をスタートさせている。そこでは、本研究助成によって明らかになった英領インドにおけるインド在地社会と植民地国家の関係についての知見も参考にしながら、特に法律家と博愛主義者の活動に着目して、西インド諸島における奴隷社会と植民地国家の関係についての分析を進める予定である。これによって、法の支配を一つのキーワードとして、イギリス帝国における複数の植民地史を対象としたより広い比較史への展望が得られると期待している。その意味で本助成による調査は、今後の研究の土台となる有益なものであった。
 最後に、この研究を支えて下さったサントリー文化財団と、中間報告会で広い視野から有益なコメントを下さった審査員の先生方に特別の謝意を示したい。

 

2018年5月

※現職:首都大学東京人文社会学部歴史学・考古学教室助教

サントリー文化財団