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研究助成

成果報告

若手研究者のためのチャレンジ研究助成

2014年度

高度成長期フランスにおける電力エネルギー源選択の歴史的変容

パリ第一大学歴史学部 博士課程5年
豆原 啓介

研究動機・研究目的・研究手法
 2011年3月に起きた福島原発事故の際にはフランス企業のアレバが日本に対して除染技術を提供したこともあり、原子力大国としてのフランスの側面が思いがけず日本で知られることとなった。現在のフランスは総発電量の8割を原子力発電によって担っており、これは先進国の中でも際立って高い割合である(2012年においてアメリカは20%,ドイツは15%程度)。筆者はこのような原子力政策における特異性からフランスのエネルギー政策に関心を持ち、その史的な形成過程を研究するために歴史学の手法を用いて研究を続けている。しかしながら史料の公開により初めて本格的な研究が可能になるという歴史学の手法上の特性もあり、原子力生産が本格化する80年代以降ではなく、原子力による電力生産が実験的な段階であった高度成長期を主な時期的射程として研究を進めてきた。とりわけ筆者が着目するのが、当該期におけるエネルギー・ミックスに関する議論である。他の先進国が原子力とともに石炭火力・石油火力、水力を重要な電力生産の手段として位置づけているのに対して現在のフランスでは原子力発電以外の発電はあくまで補完的な位置づけしか与えられていない点に特徴があるが、フランスにおいて火力および水力が主たる電力源であった高度成長期において原子力発電がいかに捕捉されていたかについて史料を用いながら論証してきた。

 

研究で得られた知見
 筆者はフランスにおいてはエネルギー政策の立案・実施は常に国際収支の問題と強く結び付けられてきたという点を明らかにしてきた。原油を産出せず、また石炭は産出するものの質量双方の面で国内需要を満たすには不十分であったフランスにおいて1930年代にはすでにエネルギー資源の輸入は外貨流出の最大の要因であり、国際収支の悪化を招いていた。この問題の解決を喫緊の課題と見なしたフランス政府は1938年には大規模な水力開発計画を策定し、水力による電力増産によってエネルギー自給率の向上を図った。また第二次大戦後には電力業、石炭業およびガス業を国有化することで自らの構想するエネルギー政策を容易に実現することのできる態勢を整えるとともに、戦後経済復興計画(モネ・プラン)の枠内で水力整備計画を策定し、引き続いてエネルギー自給率の向上に努めた。同時にモネ・プランは石炭増産をも主たる目標として定め、水力開発とともにフランスのエネルギー自給率の改善の柱とされた。ところがモネ・プランの目標は50年代の初頭には概ね達成されたにもかかわらず、50年代に入ってもなおフランスのエネルギー輸入は石炭・石油を中心として膨大な額に上っており、貿易収支の悪化要因となっていた。一方、ダイナミックな経済発展とともにエネルギー消費のさらなる伸長が見込まれていたものの、経済的に開発可能な水力サイトおよび石炭炭鉱は限られていた。このような事情を背景として戦後のフランスでエネルギー政策の策定を担っていた計画庁エネルギー委員会は50年代半ばには原子力を将来的には主力化させることを見据えており、このことが原子力発電の技術開発のひとつの推進力として働いたのである。従来の論考ではフランスの原子力主力化計画の起源を50年代末に大統領に就任したシャルル・ド・ゴールの安全保障政策に求めてきたが、それより以前にフランスではすでに経済政策上の理由から原子力主力化が構想されていたのである。

 

今後の見通し
 博士論文提出後には、博士論文執筆中に史料公開が進められた80年代以降の政府文書を使用しながらフランスの原子力政策を分析することを計画している。とりわけ筆者が関心を寄せているのがチェルノブイリ原発事故がフランスの原子力政策に与えた影響である。イタリア、ドイツなど他のヨーロッパ諸国が軒並み脱原発へと方針転換する中で、なぜフランスのみが原子力推進政策を維持したのか、検証したい。

 

2016年5月

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