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研究助成

成果報告

人文科学、社会科学に関する学際的グループ研究助成

2014年度

少子高齢化と日本の安全保障

(公財)日本国際フォーラム 研究本部長・専務理事
石川 薫

1.研究の目的

 本研究は、迫り来る未曾有の少子高齢化の潮流が、人口の低下や国力の低下を招き、日本だけでなく国際社会、特にアジア諸国を覆う安全保障問題ともなり始めていることを正面から捉え、少子高齢化に対して、国内に留まらず、アジア地域において如何に効果的な対応策を構築していくのかについて、調査、研究を行うことを目的としている。また、それらの研究によって日本が、未だ国際社会で解決策を見いだせていない少子高齢化問題においてイニシアチブを発揮し、存在感を強め、アジアの繁栄に貢献することに寄与することも目的としている。


2.研究で得られた成果、知見

 今日の日本が抱える問題として、多くの論者が少子高齢化をあげる。人口が減るということ自体が総じて国力に否定的要素であるし、それに加えて人口ピラミッドが上に延びるにとどまらず極端な紡錘型ひいては逆さピラミッド型となっていくことは社会の活力・ヴァイタリティ―をそぐと懸念されている。しかし、これまでの日本の実態を振り返れば、先の大戦の敗戦後に、人口が多すぎるという問題意識一色となり、官民一体となって両親と子供2人を理想とする家族計画を強力に推し進めた。あえて述べれば、少子化はこのような「国策」が成功した「サクセス・ストーリー」と見ることができよう。また、高齢化は昭和36年に導入された国民皆保険制度によって医療アクセスが全国民に保障されたことや戦前からの営々とした母子保健や公衆衛生の改善努力が結実した結果であり、世界一の長寿の実現もまた「国策」の「サクセス・ストーリー」である。
 私たちは今日少子高齢化「問題」を議論する出発点において、少子高齢化の国にすることこそが当時の国と国民の決定した選択肢であったことを思い起こしてもよいのではないか。すなわち今になってその選択肢がもたらした「思わぬ結果」に周章狼狽する必要はない。難題とされた人口(過剰)問題を国民が一丸となって「解決した」という事実にまずは自信を持つ、その上でかつての多産奨励⇒少産奨励を再度「方向転換」するために、政府、企業、社会、私たち一人一人が下記に述べるようになすべきことを淡々と(しかし着実に)進めていけばよいのである。
 根本的な少子化対策は、若者が家庭(同棲含む)を築いて子供を2人以上つくりたいと思いそしてそれを実現できる社会とすること以外にはない。そうなれば少子化による社会の活力減少も、子供が成長するまでのタイムラグはあるものの、解決に向かう。
 高齢化が経済・社会の活力をそぐのは、「高齢者」の人口比重が高まっているにもかかわらず、その「知力と経験」というソフトパワーを経済・社会が活用していないからではないのだろうか。経済と社会が、インナーサークル(活動に参加する人々)をがっちりと塀で囲い込み、「年齢制限」に反する者をそこから追い出してしまうから活力がなくなるのではないか。高齢者は勤労世代にとって負担であることを所与として議論し、経済・社会への高齢者の参画をどうすれば実現できるかという思考を当初より切り捨てていることに問題の根源があるのではないか。
 それと同時に指摘されるべきは、今の社会保障制度が立ち行かなくなると政治家、メディア、国民一人一人が心の中では理解していながら具体的行動に移さないという点である。あらためて人口問題を総覧しつつ社会保障の在り方を考察したうえで、私たち一人一人が、老いも若きも、なかんずく政治家も含めて、わが国をリードする人々が「いやなこと」に着手しなければならないのではないか。
 このように議論を突き詰めていくと、私たちは何か根源的に深刻な問題を見過ごしているのではないか。18歳-26歳の年齢層の人口がわずか20年の間に1,700万人から1,100万人に急速に減ってしまった中で、企業、官庁などの間で若者の獲得競争が熾烈になってきていることの影響はどのようなところに出ているのであろうか。国全体としての世代の交代と継承が職業という面では円滑に進んでいるのであろうか。例えば、「現場での多人数」が必要な職種も多い。それが消防、警察、自衛隊であるという現実を、東日本大震災や小笠原諸島への中国「漁民・漁船」による「サンゴ密漁」の際に私たちは痛切に学んだのではなかっただろうか。国民が毎日の生活をつつがなく送るためには何よりも社会の安寧と国の安全が確保されなければならないが、それを担う職種に若者は就いてくれるのであろうか。これらの職種で機械が人間にとって代わりうるマージンは小さいし、現実を見れば「選択と集中」という流行り言葉をここにはあてはめにくいことは明らかである。
 また、日本の将来の繁栄は科学技術の一層の発展にあるとの声も聞こえるが、一国の科学技術はいかに優れた資質の人材を量的に十分な絶対数で確保できるかにかかっている。科学技術者の育成には二十数年を要することにも目を向けなければならない。グローバルに科学技術の研究・開発競争が激化する中で科学技術者は国籍を問わず自国を超えて世界中を活躍の場としている。日本における科学技術の開発を誰が担うのか、激化する人材確保の国際競争の中で内外の人材を日本に惹きつけ続けられるだけの魅力を日本の研究現場と社会は維持できるのか。また一国の安全保障に直結する科学技術の狭義の安全保障をサイバー攻撃などが横行する中で守れるのだろうか。このような幾重もの挑戦を日本は乗り越えられるのであろうか。他方、少子高齢化が人生や社会・経済に与える影響を克服していく手段としての科学技術にも期待が高まっている中で、エネルギーや環境、あるいは宇宙といった重要分野とのバランスある科学技術の人材配分はいかにあるべきなのだろうか。
 目をより広い水平線に向けてみると、日本の安全保障を安泰にするための環境として近隣のアジア諸国の政治的・社会的安定は不可欠の要素である。昨今、世間の耳目は例えば中国による南沙諸島の埋め立てと軍事施設建設という深刻な問題に奪われがちであるが、アジアにはさらにより深い病巣とも呼びうる問題はないのであろうか。例えば、中国をはじめとする多くの東アジア・東南アジア諸国では、日本よりも少子高齢化の速度が速い。しかも国民が豊かになる前に高齢化に突入してしまう可能性がある国も多く、すでに大都会の繁栄の陰で置き去りにされている地方の高齢者たちの困窮と孤独が指摘されている。このような現状で社会は不安定化しないのであろうか。あるいはアジア諸国の社会の不安定化を未然に防ぐために日本が果たしうる役割は何かあるのだろうか。以上のようななすべきこと検討し、そのための行動をわれわれは淡々と進めて行く必要ある。


3.今後の課題

 少子高齢化社会を安全保障の側面から、複数の分野にまたがって分析したものは国内にまだ十分になく、その意味では、本研究会は画期的な研究活動であったといえよう。しかしながら、この課題は医療や農業などを含む、より大きな結びつきを必要とするものであり、今後、今回分析が十分でなかった分野を含めたグランド・デザインを求める作業が望まれる。

 

2015年9月

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